日本語空間
2020年3月26日
最終更新: 2020年8月1日
留学生の皆さんは、「束の間(つかのま)」ということばを
聞いたことがありますか。
「束」は、手の指4本分に該当する幅の単位で、その長さから
わずかな時間を意味します。
目の前のできごとにとらわれていると、巨視的なものの見方が
できなくなりますが、私たちに与えられた時間は有限です。
いきなりこんなことをいうと、否定的に響くかもしれませんが、
客観的な事実ではあります。
なぜこんなことを書いたかというと、博士論文を執筆していた
とき、無我夢中で取り組みながら、完成時には、うれしいという
より抜け殻のようになってしまった記憶が残っているからです。
すごいものを書いてやる、と意気込みながら、できあがった現物
には満足せず、砂上の楼閣でも夢見ていたのかとわびしくなりました。
そのとき、道は果てしなく遠いことが痛感されたのです。
つまり、時間とエネルギーを相当にかけても、結果はその分だけ
出るとはかぎりません。
歴史上の偉大な思想家も、知の深淵が、人ひとりの人生では到底
きわめられないことを嘆いています。
しかし、私自身は、そのように才能にあふれているわけでもなく
回り道をしたからこそ、有限な時間の中で、理想に向かい
「もがこう」と考えられるようになりました。
パンデミックの拡大で世界が揺れている現在。
春は、新年度の始まりですが、今年は諸事が停滞しています。
ですが、このような危機のときこそ何ができるかを考え、
すみやかに行動を起こすべきではないでしょうか。
通常の生活が戻ってから活動を開始するのでは、遅すぎます。
100%納得のいく結果のためには、120%を目指しても、欲ばり
すぎるということはありません。
私たちは、つかのまこの世界にとどまります。
そして、つかのま自分自身で、あるいはだれかと結び、何かを
成しとげたり、生み出したりします。
この仕事にたずさわる中で、数多くの留学生と出会いました。
共有する時間は短くても、たとえ二度と会うことがなくても、
結ばれた有形無形の事象はかけがえのないものです。
これからも、そんな「つかのま」の時間を輝かせたい、と願って
やみません。