日本語空間

2021年8月15日

それでも、日本人は…

最終更新: 2021年8月16日

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を再読しようと思い、

市内の図書館で検索したところ、すべての区で貸し出し中だった。
 
 
 
高校生にもわかりやすい歴史の授業を、まとめたもので、平易な

表現ながら、学校の通史では扱わない埋もれた史実を、丁寧に解き

明かしていたと記憶している。

終戦から76年が経った現在、記憶の風化に警鐘が鳴らされる一方で、

それに歯止めをかけようとする意思も、確実に存在する。

題名は、本の顔のようなものだが、“それでも”の後に読点が打たれて

いること、“日本”ではなく“日本人”の語が選ばれていることは大切だ。

戦後、日本人の中には、「国(政府)にだまされた」という人がいたそうだ。

そういいたくなる気持ちは、頭では理解できるが、それを全力で阻止し

きれなかったのは、やはりひとりひとりの日本人ということになる。

被害の歴史に劣らない加害の歴史にも、正面から対峙しなければ、語り
 
をはじめることもできない。


 
歴史の惨禍を、その時点からのみ見るのでなく、歴史的パースペクティブ
 
を通じ考察するなら、少なくとも「開国」のときから、西洋諸国との軋轢
 
は始まっていた。さらには、それ以前の近世における「国策」も、近代の
 
決定には影響をあたえているだろう。
 

 
上述した書と共に、今回、もう一冊再読したいと思ったのが、テツオ・
 
ナジタ(1936-2021)氏の『明治維新の遺産』。シカゴ大学を拠点に研究を
 
続けたナジタ氏は、日系二世で、日本政治思想史が専門。検索をきっかけに、
 
じかに戦争を知るこの泰斗が、今春、亡くなっていたことを知った…


 
本書の中で、彼は、幕府の終わりが近づくにつれ、武士のあいだに存在
 
した理想(精神)主義と功利主義のうち、前者がついえ、後者が、官僚的な
 
あり方として、近代以降も引き継がれていったと分析している。

その精神(intellect)が、もしも命脈をたもっていたら、加藤氏が指摘する
 
ごとく、エビデンスを黙殺し、「大和魂」などという内実の不確かなものに
 
賭けることは、むしろ不可能だったのではないだろうか?


 

 

 

 

 

 

 

 
特攻隊は、空中が有名だが、終戦の3か月前
 
に結成されたのは、水中特攻隊だった。
 
写真の少年は、14歳で志願したが、偶然、
 
生き延び、91歳の今も、歴史を語り継いでいる。
 
「勝てるはずがない」装備を身につけた若者
 
たちの多くが、出撃前、訓練中の事故に遭い、
 
空しく命を落としていった。
 
その記録は、公的に残されていない。

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