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2021年9月17日

ひきつけるタイトル

最終更新: 2021年9月18日

「名は体(たい)を表す」ということばがある。

それに関連し、本を選ぶとき、タイトルから、中身を想像したり

期待したりするのは、めずらしいことではない。

思惑は、当たることもある一方で、がっかりすることもよくある。

少し前から私は、 科学史全般に関心があり、中でも科学と芸術が

交わる地点に着目している。

科学史には、理系側からと文系側からのアプローチが存在する。

自身は、文系ベースなので、ロザリンド・クラウスの著書から

は、示唆を得ることがあった。

クラウス著『視覚的無意識』(2019)は、タイトルからして、読んで

みたいと思わせる本だった。

対照的に、今年出版された同氏著『アヴァンギャルドのオリジナリティ

―モダニズムの神話―』は、正直、タイトルの前で躊躇してしまった。

前者が、5年後、10年後にも古びないであろうタイトルなのに対し、

後者のタイトルには、やや賞味期限切れの印象を受けたからである。

しかし、思い切って読んでみると、スルーせずによかったと実感された。

特に、「グリッド」の章は、これまで考えてきたことを整理する契機

となった。

ただし、当該の論が書かれたの自体1978年なので、文句をいうなら

とっとと原書を探して読めばいいじゃないか、と己を叱咤してみる。

あわててフォローするわけではないが、抽象的な概念を、随所に含む

のにもかかわらず、こまやかなところまで行き届いた伝わりやすい

訳だった。

ここ10年ほど、学術書の売り上げは不振である。

だが、そうであるからこそ、書き手と読み手の双方を、研究者に

限定するのでなく、一般にも開かれた専門書を発信していく姿勢が、

学界や出版界には求められているだろう。

なぜなら、研究者以外にも、そういった書籍を、いわば教養として

摂取しようとする市民は、一定数存在するのだから。

その際、より多くの人間が手に取りやすいよう、タイトルには、

工夫が必要と考えられる。

学術論文においても、タイトルは、無論重要だ。

分野により、タイトルのつけ方には異なりがあるが、「名は体を表す」

ごとく、短いことばで本文を適切に表さねばならない。

悪目立ちするのは、かえってマイナスになるかもしれないと自戒しつつ、

やはり、ひきつけるタイトルという意味では、修辞も加味したいものだ。

修士論文、博士論文にはあてはまらないが、投稿論文のように2万字

ほどの学術論文は、長さ的に扱いやすい。

私は、投稿論文を書くとき、まずタイトルが思い浮かぶ。

それに沿い章立てをおこなってから、資料集めや調査等の下準備をし、

本文執筆に進む。

タイトルは、のちに一部書きかえることもあるが、最初にそれがすんなり

出てくると、うまく書けそうな手ごたえが生じるのだ。

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