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「一巻の終わり」からはじまる物語

ここで命運はもう尽きた、と普通は考えるようなところで、

あきらめず前進を続ける人間がいる。

どうせもう「おしまい」なのなら、かえって失うものなど

ないではないか? と。

とりわけ、それが直接命に関わる問題なら、与えられた状況に

「あらがう」か否かは、後の明暗を分けることにもなる。

種々の災禍に、偶然巻き込まれ、いったんは絶望に突き落とされ

ながら、生還を果たすのは、そのようなひとなのかもしれない。


より身近な仕事や学業においても、同様な状況に陥るケースは

ある。


ただし、他人の苦難は、それがいかに深刻であっても、完全に

想いを共有するのは難しいだろう。


そう断り置いた上で、記させてもらえば、私自身が近い過去に、

これでもうおしまいだと何度も思わされたのは、論文提出の

締め切り直前のことだった。

とりわけ、修士論文と博士論文は、難易度が高かったが、外国の

学術誌に投稿した論文なども、最後まで気が抜けるものではなかった。


大学院に入って間もないころは、論述の経験も浅かったため、

提出期限を目前に、今回は無理、とあきらめかけながら、結局、

最後は気力で完成させたものだ。


そして、これが「おしまい」と感じても、実際には、その後いくつ

もの「山」が控えており、それを乗り越えねばゴールには到達しない

ことに気づかされた。


今も、そこで鍛えられた勘は生きており、論文を執筆中、難所に

さしかかっても、同様な箇所がまだまだあろうと推測される。

無論、そんなに美しい物語ばかりではない。


投稿論文は、約2万字なので、書きなれてくるとむしろ扱いやすい

字数である。

修論、博論は、絶対的な字数制限はないが、私の修論は約10万字、

博論は約40万字となった。


それだけ長くなると、ゴールまでの勘も、さすがに鈍ってくる。

書けども、書けども終わらない・・・己にダメ出しを続ける暗黒?

の日々。

最も混沌としていたのは、やはり、博論提出前の1年間だ。 私は、次回は提出するという予定でいながら、その「次回」を 2度も見送ることとなった。 1度目は、単に、時間切れとなり完成しなかったのだが、2度目は、 いったん提出したものの、自分自身、完成度に納得がいかず、 引き下げてしまった。 事務所スタッフの手間を煩わせ、恥ずかしい思いもしたが、担当の 先生は、そんな私に「研究者の鑑(かがみ)だ」などと信じがたい ようなことばをかけたので、よけい身の置き場がないと感じた。 つまり、もうレベルは満たしているのに、それ以上を求める態度 をほめてくださったのである。

しかし、本人は、もう提出自体無理ではないかという心境になって いたのだから、何かちぐはぐな状態であったともいえる。


それでも、最後の勢いをつけ、私は、博論の完成に取りかかった。

ただ自身のためだけでなく、命綱(いのちづな)のようにして支えて くださる先生の信頼に報いるためにも!


あれほど苦しかったのに、まったく同じ経験は、もはやしえないのだ と考えると、 過ぎ去った一回性の時間が、今ではたまらなく懐かしい。

「一巻の終わり」の地点から、一筋(ひとすじ)の光を求め、みずから 苦闘するすべての人間に、幸あれ!と願う。


 登山家の山野井泰史(やまのいやすし)氏は、先日、日本人で初めて、登山家にとって  最も権威ある『ピオレドール』を受賞した。  2000年代、雪崩(なだれ)に巻き込まれ、奇跡的に生還したものの、凍傷で手足の指を  合わせて10本失ったが、「一生山登りを楽しみたい」と笑顔で語る。

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