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「人新世(ひとしんせい)」以降

公害や自然災害が頻発する昨今、特別な行動を起こさずとも、環境に思いを

巡らせない人間は少ないだろう――


「更新世(こうしんせい)」と呼ばれる今から20万年ほど前の時代、アフリカ

大陸に現れたホモ・サピエンスは、定住した地域のあちこちで、火の利用や

狩猟により、巨大動物の絶滅を引き起こした。


その後の「完新世(かんしんせい)」と呼ばれる時代は、当初、最終氷期が

終わる約1万年前から現在までとされていたが、2000年2月にメキシコで

開かれた科学者の会議中、ノーベル賞受賞者であるパウル・クルッツェンが、

「われわれは既に人新世(ひとしんせい)※のなかにいるのだ」と叫ぶ。


「人新世」のはじまりに関しては、諸説ありながら、人類活動の巨大な

加速現象「グレート・アクセラレーション」が起こった1950年前後で、

識者たちの見解はほぼ一致している。











わずか70年ほどの間、それ以前ゆるやかに損なわれてきた環境は、飛躍的に

悪化し、地球の余命は一気に縮められたと見なされる。

人間中心主義の限界――


この概念を提唱したのは、科学者であったが、理系にとどまらず、社会学、

人文学といった文系の分野にも広範に反響を呼び、心ある研究者なら、

それ以前におこなった自身の研究を、再吟味せざるをえなくなったのだ。


ただし、研究者にとっては、イマジネーションを刺激されるこの名称も、

一般には、ほとんど浸透していないばかりか、当該の危機の内実や度合いは

共有されてはいない。


だが、特定の人間ではなく、われわれの多くが大量の二酸化炭素を排出する

ことにより、大気を変質させてきたのは事実で、その元凶は、石炭や石油の

利用だ。


それゆえ、人新世とは、われわれの「力のしるし」であると同時に、

「無力さのしるし」でもある。

(クリストフ・ボヌイユ、ジャン=バティスト・フレソズ『人新世とは何か

〈地球と人類の時代〉の思想史 』より引用)


さて、今秋開かれた「cop26」で、日本が、温暖化対策に消極的な国に

与えられる「化石賞」を受賞したことは、記憶に新しい。

理由は、岸田首相が、「火力発電のゼロ・エミッション化」の名のもと、

石炭をはじめとする火力発電の維持を表明したことによる。


3.11以前、火力発電のように二酸化炭素を排出しない原子力発電は、環境に

負荷をかけない効率的な発電方法だと考えられていた。

そして、日本の原発は世界一安全だからという「神話」的発想で、原子力

を主軸としたゼロ・エミッション化が目指されたのである。


大災害が引き起こされた後も、日本政府は、当時の「原発を増やした上で、

後追い的に再エネを増やす」といった構想からの転換がうまく図れず、

結果的に火力発電が主たる代替手段として用いられ、今日に至っている。


たとえば、日本人特有のエコロジー的発想からくる表現に「もったいない」、

「地球にやさしい」等があるが、そのソフトさや曖昧さは、地球規模の

危機的状況とは乖離している。


自然は征服しうる対象と考えた西洋文化と対照的に、日本文化において、

自然は畏怖(いふ)する対象であったため、対象と徹底的に対峙する姿勢が、

未だ獲得されていないのだろうか

(ただし、日本でも近年、若者の間に、高い意識を持ち能動的に行動する者

が目立ち始めていることが特筆される)。


実は、「人新世」自体、少々古びてきており、現在は「planetary age」

という語に表されるようなスケールの思考が求められている。

いずれにせよ、「可能世界」を想像できるか否かが、技術や方法以前、

切に問われているのだろう。


※「人新世」の読み方には、“ひとしんせい”と“じんしんせい”がある。










NHK WEB特集「彼らがcopに行く理由」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211201/k10013366121000.html

楽観、悲観、傍観いずれにも流されず 、

行動するということ。

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