- 日本語空間
「思う」のか「考える」のか
婉曲表現を好む日本語には、しばしば「~と思う」と
いう表現が用いられます。
対面で会話をしていて、日本人が「~と思います」と
口にするのを聞く機会は少なくないでしょう。
互いが歩み寄るためのコミュニケーションを重視する
発話なら、それでも問題はないかもしれません。
けれども…
あえて乱暴に言い切れば、島国的心性(陸の外は海で
逃げ場がない)に育まれた文化においては、衝突を
あらかじめ避けるべきだ、という規制が内的外的に
働いている、と。
「思う」は、かかる心性、換言すれば情緒的な働きと
親和的です。
それゆえ、硬い書きことばの表現には適していません。
レッスンをしていても、留学生の論述に「~と思う」と
いう表現が、少なからず用いられているのを目にします。
作文なら問題ないのですが、アカデミックな論述では
基本的に、「思う」は避けるべきです。
たとえば、わずか400字ほどの論述に、「思う」が
2回も出てくるのは好ましくありません。
そこでシンプルに、「思う」は心の働き、「考える」は
頭の働きと、まずは説明します。
日本語レベルも上級になると、文末に限らず同じ
表現の繰り返し(接続詞等でも)を、留学生みずから
「何とかできないか」と感じ、「どうすればよいか」
という質問をしてきます。
その意識は正しいです。
「~と思う」のような主観的表現は、アカデミックな
論述では、「~と考えられる」という客観的な表現に
置き換えられます。
「思う」は、他にも別な表現への言い換えが可能ですし、
代わりに「言い切り」の形、「断定調」を用いるべき
なのです。
極端な話、アカデミックな論述に「思う」を一つ入れた
からといって、大きな減点にはならないでしょう。
しかし! 硬い表現を徹底させ、引き締まった、
すなわち作法をわきまえた書きことばには、必ず評価が
加味されるはずです。

安藤忠雄 設計「風の教会」