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「憂国」から50年(2)
モーリス・パンゲ氏のいう「スノビズム」による自死
とは、「これみよがし」の演劇的なそれを指しています。
三島が、自衛隊のある建物のバルコニーで演説をした
のち、室内へ入り、切腹を行ったのは、結果的にそう
なったのでなく、あらかじめシナリオが存在しました。
さまざまな理由は、後付けのようでもあり(たとえば
天皇制を支持しながら、生身の天皇には興味を持た
なかった)、死への衝動をバネに、本人なりの美意識
で人生のドラマを完成させたかったということでしょう。
その道行きの相手に選ばれたのが、当時、早稲田大学に
在籍していた森田必勝(もりたまさかつ)でした。
憲法改正を訴えるため、クーデターを起こそうという
企図への「賛意」を期待した自衛隊の若い隊員から、
強い反対のことばしか引き出せなかった三島は、
失望します。
そして、職業軍人ではない学生の、それも地方出身の
純朴な森田に、白羽の矢が立ったのでした。
学生といっても、すでに成人していた森田ですが、
表面的には思想の一致があったとしても、20歳も年長で
すでに作家として名を成し、人生の半ばにさしかかって
いた三島とは、直接行動への想いにも径庭があったこと
は想像に難くない。
50年の節目に、多くの知識人や作家らが、三島に対し
肯定的な評価を語っています。
その三島と最期をともにした森田に対しても、一部で
神格化の動きがあります。
しかし、森田の実兄が発する、国を憂う気持ちがあれば
こそ、生き抜いて「ことば」で訴えることが大切では
なかったか? という問いが、むしろ静かに胸を打つのです。