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  • 日本語空間

「憂国(ゆうこく)」から50年(1)

時代と共に、ことばは輝きをおび、また衰滅します。


「憂国」という語にも、ある時代的な色合いが濃厚に漂って

います。


日本人なら、文学史の授業で必ずその名を学ぶ三島由紀夫

(みしまゆきお)は、1970年11月25日に、市ヶ谷の自衛隊

で割腹自殺をしました。


本年は、50年後の節目であることから、ドキュメンタリー

映画が公開されるなど、あらためて注目が集まっています。


三島に関しては、純文学、耽美主義、文化的天皇制の支持、

肉体改造、自衛隊での訓練などがキーワードに挙げられ――

日本において、後景化されていますが、海外の文学関係者

の間で、彼が同性愛者であったことは周知の事実です。


しかし、作品と直結させ「憂国」同様、「益荒男(ますらお)」※

などということばをストレートにに用いる三島の精神性には、

実感として共鳴しづらく。


同性愛が、禁忌(きんき)であり、そのゆえのように選民的

な美意識となりえた時代も遠くなり。


わずか半世紀の間に、日本は変わりました。


三島であれ、どのような個人であれ、その人物が真摯(しんし)

に生きた軌跡は、尊重されるべきですが。


「国を憂(うれ)う」のにも、多種多様な形態がありうると、

現在なら言い切れることは幸い。


すでに権威化された文学者を、追随して神話化するのではなく、

アフターダイバーシティの今日からの捉え返しが、求められる

でしょう。


個人的には、モーリス・パンゲ氏が、「切腹」を「スノビズムの

極地である自死」とした論に、文化の外からの説得力を感じ、

三島の最期の参照としています。


※益荒男:強い男性。男の中の男(…)。「武人」の意味。




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