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「新しい中世」

今週、日本には台風が来ていて、毎日悪天候が続いた。

ただ、涼しくなり一昨日からエアコンを使わなくて済む

ようになったため、しんと静まり返った部屋で昨日は

眠りに就こうとした。


しかし、聞こえてくる雨の音が、風流を通り越して

激しく、湿気も高いときて、寝苦しいまま朝を迎えた。


いくつかのことを同時進行でこなすのは得意な方だが、

ここ数週間その度合いが増して、あっという間に週末

になる。

このような時は、いかに雑念を排し、集中できるかに

かかっている。


先々週、ミニシアターで鑑賞した映画『マルケータ・

ラザロヴァ―』の関係で、大学院生時代に読んだ

『新しい中世』(田中明彦著)という本を思い出していた。


当該の語の概念は、すでに1970年代、へドリー・ブル

(Hedley Bull)により唱えられていたもので、すでに

半世紀ほどが経過しているが、それは到来するだろう

と予想されながら、まだその時に至っていないと結論 づけられた。

具体的には、主権国家に集中していた権力が、次第に

分散し、総体的に社会が多層化するという論である。


それに対し、1996年に『新しい中世』を出版した

田中明彦は、現代世界にその概念をあてはめること

は妥当であるとし、冷戦以降の世界を「新中世圏」、

「近代圏」、「混沌圏」に分類した。


今回、図書館で借りてきた田中版の『新しい中世』を

読み返しながら、そこからさらに4半世紀経った今日の

世界を、自分なりに再考したいと考えている。


さて、各々の概念の妥当性や意義をここで検討すること

はしないが、私が言いたいのは、論文を書くときに、

完璧でなくとも「仮説」や「措定」をおこなうことの

重要性である。


研究の世界は、短い人間ひとりの一生で、すべてが完結

するような代物(しろもの)ではない。

そうではなく、やはり歴史的営為に連なっていくもの

なのであるから、誤りや非難をおそれずに、いったんは

襟を正しつつ自説を展開すべきなのだ。


反論の後に、さらに反論で返すことも、修正を施すことも、

何ら問題ではない。 むしろフツウだ。


ゆえに、当たって、砕けて、先人の胸を借りるつもりで、

大胆に進むべし!!


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