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「書く」ということ

諸々の事情で、身体に限界がきて、活動休止を余儀なく

されることとなった。

顔の神経が何かおかしいと思ったら、舌が動かず、

いわゆる呂律が回らない状態になっていた。


奇妙な偶然というべきか…

少し前に亡くなった恩師は、出会った時すでに全盲に

近く、長年眼そのものが悪いと思っていたのが、全身の

神経疾患による病と判明し、最後は口も利けなくなって

いたのである。


私の症状については、まだ原因が不明だが、ショックを

受けつつも、病になど負けるものかと念じている。


以前は、志半ばにして急逝した恩師を悼みつつも、

なぜこんなに早く去られたのかと責めるような気持ち

が正直あった。

しかし、もはやそんな甘えたことは言ってられない。

ものごとの順序から、己の「代」が来ているのだろう、

と今こそ冷静に腹を括って。


恩師といっても、修士課程在籍中に著書を読み、

修士論文の代表的参考文献にそれを使わせてもらい、

一方的に尊敬する存在でありながら、まさか当人と

お目にかかれるとは思っても見なかった。


編入した博士課程のゼミ教員が、恩師と大学院時代

の同級生であったことが知れ、是非会うように、

むしろそちらで指導してもらうように、推薦書を

書くと勧められてからの縁だった。


実際には、早期退職をされていたのだが、具体的に

ここをこうすべきだというような指導は一切受けず、

主として、船の舵をいかに切るかといった風な方向性

の示唆と、心温まる励ましを賜った。


眼の具合に配慮して、メール等での連絡はし過ぎない

ようにしていたが、どうしても話したいことがあり、

メッセージを送ると、非常に長い文章が返ってきた。

画面を反転させるとかろうじて読み取ることができる

ので、気にせずいつでも連絡をくれ、と言うのだった。


一生の勉強癖が身についていた恩師は、定年退職後、

一層読書に励まれ、哲学や古典にあらためて親しみ

ながら、物理を独学していた。

そして、これが最後になるだろうという予感を持ち

つつ、取り組んでいた大著があった。


「読み」、「書く」ことの繰り返し。

あたりまえのようなその行為を透徹させること。

間断ない鍛錬により「知」は深まっていく。

誰から教わったわけでもなく、意識して真似たわけ

でもなく、私自身いつしかその道を辿っていた。


葬儀の当日、初めて足を踏み入れた恩師の書斎で、

彼の修士論文を読む機会を得た。

ブルーの万年筆で流れるような筆跡のあたかも

「作品」めく文章が、そこには存在していた。


書くこととは、単にことばを綴る作業などではなく、

己自身と対峙することだ。


話すそばから宙に消えていくことばではなく、白紙

の上に定着させられた書きことば、否、書く行為

そのものを通して、師が示してくれたことの重みは

はかり知れない。

たとえもう会えなくても、残された文章の行間から

は立ち上ってくるものがある。


私も、今は「話す」ことが封じられていても、「書く」

ことができるのを何よりの幸いと受け取り、書き進んで

いこう。

そうして悔いなく生きよう。




























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