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「濃い」記述が高評価をもたらす

超域的な研究をしていると、自分自身のテーマと重なるテーマを有する研究者と

の出会いは期待できない。

そのようなことを期待するなら、とうに別な場へと、移っているのだろうが…


一昨日、恩師について書いたが、その方と私の研究も、日本や歴史的事象に一部

関わる(「日本史」ではない)ということを除いて、共通点はない。


恩師のフィールドは、純人文系で、私のフィールドは、人文科学と社会科学に

またがっており、より異分野間を横断するアプローチを採っている。


それでも、なお両者の共通点を探るとすれば、上部構造に、哲学的な要素を

多分に含むため、論理的整合性にはこだわりが強い、ということが挙げられる。


そもそも論理性を無視して、論文など書けないが、この点を徹底しなければ、

みずから先には進まない。

ゆえに、恩師と話していて「ちょっと待ってください。それは、つまりどういう

ことですか?」と聞き返されると、ドキッとするのである…


他方で、学問の世界も、ときどきのパラダイムに影響を受ける。

恩師より後発で、研究の途についた私は、その分、新しい手法には貪欲といえる

かもしれない。


上述した意味で、私が常に意識しているのは、事物の「連関」を意識する手法

である(アクターネットワーク理論に示されるような)。


こう書くと、何やら難しく感じられるかもしれないが、高度に普遍性のある理論

は、実は、さまざまな場面に応用が可能なのだ!


1.論理的整合性を徹底し、2.与えられた、もしくは自分自身が設定した

テーマにおいて「連関」を意識して書く。


これだけでも、骨組みの揺るがない豊かな内容の「濃い」記述となる。


濃い記述は、博士論文のように専門性の高いもののみならず、入試に際しての

志望理由書やレポートにまで応用できる。


書くことに慣れていない人の文章は、概して「薄い」記述になりやすい。

つまり、字数が費やされている割には、見るべき内容がなく、ゆるい感じで

流れていってしまい、印象に残らないのである。


8月の定期試験で、レポートの添削をした大学生から、「初めてのS評価を

もらいました!」という報告が、昨晩届いた。


単に、日本語の指導や、添削をおこなうというような意識はない。

そうではなく、濃い記述のような一段上の論述にみちびき、「結果を出す」

という高次の目標が維持されている。









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