• 日本語空間

「物理屋」という気概

「物理屋になりたかったんだよ」――


先日、素粒子ニュートリノの観測に成功し、2002年に

ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊(こしばまさとし)

先生が、94歳で逝去されました。


1926年に生まれた小柴先生は、幼少時に、軍人か音楽家

を志しながら、12歳で小児麻痺にかかります。

多感な時期に、まともに身動きもできず、芋虫のように

はいながら移動をしていたそうです。


しかし、入院中にアインシュタインの本を読み、物理学

を志望することとなります。


旧制一高の受験に失敗し、入学後もドイツ文学を愛好する

小柴先生に、周囲は、物理学を専攻するなど「無謀」だと

忠告しました。


そして難関は突破したものの、戦後に父が公職追放となり、

貧困生活の中、アルバイトに駆け回ります。

結果、大学にはあまり通えず、東大を「ビリ」に近い成績

で卒業。


その後進んだ大学院でも、優秀な人材に囲まれ、苦悩して

いた小柴先生に道を開いたのは、原子核乾板を使用した

実験でした。


小柴先生は、自らの生涯を語りながら、子どもを含めた

後進に啓蒙活動を行っています。

その中で、有名な著書に『物理屋になりたかったんだよ』

があります。


実は、「○○屋」は、「○○家」に比し、下位に置かれる

名称です。

たとえば、「政治屋」といえば、「政治家」にふさわしく

ないといった批判や侮蔑を含んでいます。

それゆえ、あえて自らを「物理屋」と称した小柴先生には、

「現場主義の研究者」の気概がみなぎっているのです。


小柴先生が重要視した「基礎研究」は、結果が出るまでに、

長い時間と潤沢な資金を要します。

それにもかかわらず、研究費は削減され、数字として

すみやかに示されるものが、優先されているのが現状です。


少し年長になりますが、寺田寅彦(てらだとらひこ)や、

小柴先生のように、スケールが大きく人間味のある科学者を、

近代は輩出してきました。

その精神に、瞑目しつつ、学ばせてもらいたいと心から

願ってやみません。


小柴先生は、「スーパーカミオカンデ」の前身である「カミオカンデ」を岐阜県に設置。

自分の弟子から、あと2人はノーベル賞を受賞する人物が出るだろうと予言した。

そのうち、戸塚洋二は、有力候補となりながら癌で2008年に死去。

2015年に、梶田隆章がノーベル物理学賞を受賞し、悲願を果たした。


18回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示

ニューノーマルがもたらしたもの

4日前、投稿論文が審査を通ったとの通知を受け、 最終の校正をおこない、昨日、完成した原稿を 先方に送りました。 3日間かけ、慎重に見直しをしましたが、3万字強の 長さで、他人には一切チェックをしてもらって いないため、神経を削りはしました。 ようやく今、晴れやかな気持ちで、次の論文の構想 を練っています。 コロナ禍は、字義通り、多くの災「禍」をもたらし ました。 一方で、それが切り替えさせ