- 日本語空間
「自由」になるため学ぶ
なぜ学ぶのか? と問われれば、やはり「自由」になる
ためと答えるだろう。
森羅万象(しんらばんしょう)を、理解するのは叶わず
とも、知らなくてよいことが存在するとは思えない。
むしろより多くを見知り、学ぶ姿勢が、自分自身を解放
していくのだ。
博士課程に在籍中、書いても書いても終わらない博論に
絶望したのは、1度や2度の経験ではなかった。
日付のない、時間の感覚も失ったような日々にとどまり、
何とか正気を保ちながら、理性を研ぎ澄ました。
そのような経験を積み重ねてから、妙に度胸が据わった
のである。
たかが博論・・・
されど博論!
書けなくても死ぬわけではないが、可能であれば、
死ぬ前に書き上げたいものだ、と。
私に限ったことではなかろうが、学びの最終過程にたどり
着いた人間は、高い山の頂上で、それまで見ることの
なかった景色を、一瞬でも目にするのかもしれない。

それは、とびきり「自由」な境地だ。 しかし、「好き勝手」の意味ではなく、ある重みを ともなった解放だろう。

本人に、意思さえあれば、学ぶ行為は、どこにいようと 続いていく。 「自明」とされる事象を疑い、目の前にかかっている
靄を払うように、言説やバイアスから逃れたいと願う。
研究に就くその前に――

2022.6.4