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「自由」を糧(かて)に
今日は、朝から台風の影響で天気は荒れ模様。
事務所の猫も、何となく元気がなく、クッションに身を 沈めている。
さて、現在指導をおこなっている大学生の卒業論文が、
やっと半分くらい完成した。
あと少しで、核論となる終章に入り、そこがうまく
仕上がれば、全体がなめらかにつながっていくだろう。
終章でのいわゆる落としどころは、相談済みだが、
おおまかなデッサンをしただけなので、最後の最後を
どうキメるかは定かではない。
だが、このクライマックスこそが、論文の醍醐味なの
である。
学習者の方も、最初のころとは異なる反応を見せ、
非常に乗り気でいる。
こちらとしても、そのような反応を見るのが何よりの
よろこびなのだ。
人間は、社会的であると同時に、自由を求める生き物だ。
だが、いきなり「自由」に、といわれれば戸惑うに
きまっている。
大学までの勉強は、必修科目が多く、そこで良い成績を
取るのには、コツは必要でも自由度は高くない。
ただし、卒業論文においては、専門の分野で書くこと以外
には、テーマ選びから、タイトル、構成等々の自由が許され
ている。
そうして、大学院生ともなれば、授業にきちんと出席して
良い成績を取ることはあまり重要でなく、個々人の研究の
成果が何よりも求められる。
無難に何かをまとめたような学術論文は、審査が厳しく
なければ、パスできるかもしれないが、新規性のないテーマ
の上、平板な記述では、人に抜き出でることはありえない。
けれども恐れることは何もないのだ。
たった一つの正解はないのだから、当たって砕けて、気が
済むまで自由に挑戦し続ければいい。
学習者の論文も、自分自身の論文も、研究を開始したとき
には見えていなかった景色が、ゴールインしたときに、
くっきりと目に映じる。
この世には、見知らない世界が広がっているけれど、これほど
クリエイティブでカタルシスのある営みが他にあるだろうか?
「自由」を糧(かて)にどこまでも行こう!
