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『現代思想』という問題系

いつか『現代思想』について書きたいと思いながら、諸事情に

より他のトピックを優先させるうち、とうとう年末になって

しまった。


人文科学の分野で学ぶ人間なら、一度くらいは、この雑誌を手に

取ってみたことがあるだろう。


当該の分野で名高い「青土社」から、1973年に創刊され、同社

から1956年に出た『ユリイカ』(『現代思想』より文芸、サブ

カルチャー寄り)と共に、知る人ぞ知るといった存在。


だが、『現代思想』が実際に隆盛をみたのは、1980年代から

1990年代にかけてであり、2000年代に入ると徐々に退潮し、

2010年代には、あらわな失速が認められていた。


最初のピークである1980年代、「ニューアカデミズム」全盛時

の同誌を、リアルタイムで知らず、相当に後追いで接した身と

しては、宴(うたげ)のあとの気配を追い求めるごときはかなさが、

どこかに感じられたことは否めない。


それでも、百花繚乱というか百家争鳴的な事績からは、学ぶもの

が多々あった、とはっきりいえる。


確かに、そこで中心となっていたのは日本における「現代」の

「思想」などでなく、主たるものは欧米の「現代思想」であり、

日本人は、総体的に思想の発信者でなく消費者であった。


特に、フランス哲学、ポストモダン華やかなりしころ(経済状況も

今日より悪くなかった時代)、そこに関わる人たちは、筆者も

読者も「知的冒険」(ネガティブな意味でなく)を楽しむ余裕が

あったのかもしれない。


そうして、日本の論客には、浅田彰(あさだあきら)氏、柄谷行人

(からたにこうじん)氏といった「スター」的知識人が存在し、言論

状況を活性化させていた。


数年前、さる論客が、一時はポストモダンを信奉したが、今では

陥穽(かんせい)に気づき、そういった思想を「警戒している」と、

忌々しいもののように語っているのを見かけ、随分勝手だなと

あきれたものだ。


なぜなら「万能」な思想など存在しないし、これは良いこれは悪い

と高所で「評論」しているばかりでは、いつまでたっても「消費者」

のそしりは免れないだろうから。


たとえば、ポストモダンにおける「小さな物語」は、スチュアート・シム

が総括するごとく、ゆるやかに組織された集団であり、既成のシステム

に対抗するため「永続的でなく一時的な」ものとして、その意義を 首肯しうる。


過去に、哲学や思想色のつよかった『現代思想』は、間口を広げ、

現在では、純理系のテーマや、ジャーナリスティックなトピックなども

積極的に扱っているようだ。


ただ、偏りがないのは開かれているともいえるが、時に大味すぎ、

戸惑ってしまうような号もある。 たとえば、テーマが「明智光秀(あけちみつひで)」※って? 大河ドラマとの連携?  『現代思想』でなく『歴史街道』の間違いではないか、と絶句して しまった。

これまでほとんど指摘されてこなかったが、現代思想の衰退には、一般の

ひとびとの間で、リベラリズムやダイバーシティが容認されてきたことが、

確実に関わっていよう。


つまり、一般の側が、保守傾向を帯びていれば、革新勢力は、目新しく、

啓蒙の意義も存在するが、彼らに自由思想が浸透すれば、元々前衛として

認知された側が、後退していくのは自然な流れだ。


しかし、思想界全体が活気を失ったかといえばそうではなく、アカデミズム

と関わりながら、より多くのひとびとに対し、精力的にメッセージを発信

する「新哲学派」とでも呼びたいアクチュアルな動きが、若年層との連動で

起きてきていることが注視される。

その彼らとて、『現代思想』に、まったく接触していないわけがない。


いずれにせよ、『現代思想』が胚胎させたつかの間の理論(passing theory)

は、姿を変えつつも、未来へと枝葉を広げていくのだろう。


※明智光秀(1528-82):戦国時代の武将。「本能寺の変」で織田信長を自刃

            させたが、ほどなく豊臣秀吉軍に敗れた。 

 


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