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『蟹工船(かにこうせん)』


1週間に2回くらい、地元の図書館へ行く。

貸し出しの上限は、県立図書館が10冊、市立図書館が6冊。

蔵書は、かなり豊富だが、研究に使える洋書がないのだけ惜しい。


母校の図書館も、校友として利用が可能だが、コロナが発生したため、

足が遠のいたままになっている。


昨日、現在大学院入試のサポートをしている学習者が、研究計画書

に使えそうな専門書を借りに行ってきた。

幸い、当該の分野において最先端の研究をまとめた本が見つかり、

心の中でガッツポーズ!


書棚にないので、スタッフに聞いたところ、先日出版されたばかり

で、まだ番号順に並べられていない状態だった。

真新しく厚い本を大切に抱え、事務所に戻る。


本のない人生は、何にもまして考えられない。

その本は、しかし近代の日本では、現在のように「検閲(けんえつ)」

なしで、自由に読めるものではなかった――

2000年代後半に、『蟹工船(かにこうせん)』という小説が、ブームに

なったことがある。

日本人が、学校でまなぶ「文学史」には、必ず登場する印象深い作品だ。 蟹工船は、オホーツク海のカムチャッカ半島沖で、漁獲した蟹を船内で 缶詰めにするための設備をそなえた大型船。 戦前に、航海法や労働法規の適用されない環境で、数か月の間、漁を おこなった。

著者の小林多喜二(こばやしたきじ)は、1903年、秋田県の貧しい農家に

生まれ、北海道の小樽高等商業学校(現在の国立小樽商科大学)を卒業後、

銀行に就職し、働きながらプロレタリア小説を書く。


だが、1928年3月15日に起きた共産党員の大量検挙「三・一五事件」

をモチーフにした『一九二八・三・一五』や『蟹工船』、『不在地主』

における描写が問題になり、銀行を解雇されることとなった。

1933年、小林は、特高警察※に逮捕され、築地警察署内で激しい拷問 を受け、その日のうちに死亡する。 享年29。


苦学して高校を卒業後、銀行に入社し、高給取りになりながら、そのまま

安泰な道を進むのでなく、社会の平等と反戦を訴え続けた多喜二を信じ

続けていた母・セキは、変わり果てた息子の遺体を抱きしめ、「もう一度、

皆のために立たないか! 立たないか!」と声を上げたという。


発表から80年後の日本で、『蟹工船』がブームになった背景には、ブラック

企業による搾取や、過労自殺、パワハラ等の顕在化した状況があった。


『一九二八・三・一五』には、共産党員と特高警察の攻防、そして残虐な

拷問シーン(特高警察を怒らせ小林の死を招いた)が、生々しく描かれており、

ストレートな政治色が強い。


一方で、「おい地獄さ行ぐんだて!」のフレーズで始まる『蟹工船』は、

船員の生活や労働に関する描写は、きわめて過酷ながら、結末には、

同志の団結による一抹の希望が託されており、現代の「ワーキングプア」

的心情をより重ねやすかったのだろう。


確かに、搾取する側とされる側の構図には、昔も今も変わらないものが

あるといえる。


だが、パワハラや過労で自殺した社員の遺族が起こした裁判で、会社は

ほとんどの場合、敗訴するようになった。

それは、小林の時代から見たら、進歩といっても許されるだろう。


一方で、苦しむ人々に共感し、安定を捨ててまで他者と共闘しようと

する人間は、当時にくらべどれほど存在するか。

非力な身ではあるが、自由な読書と、それに先立つ「表現の自由」 ――「思想の自由」と一体の――をあたりまえとはせず、それが実現

しうる状況を貴いものとして継承せねばなるまい。 特高警察:特別高等警察の略称。      1910年から1945年にかけ、共産主義思想や反国家思想と      される「思想」を取り締まった。      1945年、終戦と共に解体される。





                           現在も、毎年各地で、小林多喜二を記念                       するつどいが開かれている。

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