中学のときに参加した学校見学で、一番印象に残ったキリスト教系
の高校を、迷わず選んで受験した。
聖歌隊の合唱やハンドベルの演奏、そして歴史を経た薄暗い礼拝堂
のたたずまいに魅力をおぼえたからという理由だったが、合格した
ときは満足だった。
そうして、3年間の高校生活では、毎朝礼拝があり、牧師の説教を
聞いたのち讃美歌を歌い、祈祷をおこなった。
その牧師が、先生として教える「宗教」の時間もあった。
聖書にも讃美歌にも、古語、それも雅語(がご)がちりばめられていて、
普段まったく使わないような表現に引きつけられた。
今でも、ふとした拍子に、それらのことばが思い浮かぶ。
なかでも、しばしば出てきた「いと高きところに」という表現は、 つよく刻まれている。
口語にすれば、「とても高いところに」だが、これではまったく味気
(あじけ)なくなってしまう。
「いと高きところに」というとき、手の届くことのかなわない不可視
の抽象的な場が、おのずとイメージされる。
卒業後、何度か通った教会には、今では足が遠のいてしまったが、
せめて年に1回の降誕祭には、にわかクリスチャンのようであっても、
頭(こうべ)を垂れている。
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