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  • 日本語空間

ことばの体感温度

昨日、庭に面した事務所の窓を開けると、裏手のマンションに

住む老婦人と目が合った。


私が、「こんにちは」と挨拶すると、相手は、「猫ちゃんを

飼ってるのね」と言ったので、とっさに「はい、うるさくて

すみません」と謝っていた。


これまで何度か書いたが、旧い事務所は1ルームで、ペット禁止

だったのを、野良猫が居ついてしまったため、ここに越してきた

経緯がある。

予定外の出費でやりくりが厳しく、かなり古いマンションを借りたが、

現在は、仕事がオンラインのみなので、猫を中心に、何とか工夫し

使っている。


以前の街は、1ルームタイプのアパートが多く(と言うことは単身

世帯の多い)、駅に近いエリアだった。

現在、家族向けマンションや戸建ての多い街に、事務所はある。


コロナに関わりなく環境がそうであったため、以前は、住民同士が

敷地内で会っても、目礼ぐらいのものだった。


それが、ここに来て、ご近所さんからよく声をかけられる。


一応ペット可の物件ではあるものの、成長期真っ只中の猫は、

昼夜かまわず事務所を走り回り、元気よく鳴き声を上げるので、

いつ苦情がくるかと心配していた。


ついにきたか、と身構える私に、その老婦人は、意外にも

「猫ちゃんが、よくこっちをじーっと見てるのよ」と話した。

そして、つけ加えた。

「すごく可愛い」。


拍子抜けした私は、「ありがとうございます」と返すのが精一杯

だった。


すると彼女は、少し照れたような調子で、再度

「すごく可愛い」と。


私は、気の利いたことばも出てこず「えー、そうなんですか」

とつぶやくばかりだったが、相手は、にこにこしながら部屋に

入っていった。


友人や家族でもない人間(目上)から、「です・ます」体でない

ことばで話しかけられることが、こんなに温かく感じるとは

思いもしなかった。


また、新鮮でもある。


だが、「言外の意味」に照らし合わせれば、時と場合により、

こちらが敬体で話しているのに、相手が常体で話している時は、

ネガティブな意味合いがこめられていることも多分にある。


先日の選挙に際し、テレビ局は特番を組んでいたが、おそらくは

視聴率を稼ぐため、中には随分とあくどい手法を用いたものもあった。


ある保守系のチャンネルでは、司会の芸能人が、野党の小さな

政党の党首に、相手が敬体できちんと対応しているにもかかわらず、

「あんた」、「もっとざっくり話してくんない?」、

「わかりづらいんだよ」等の馴れ馴れしい表現を使っていた。


年齢的には、司会者の方が10歳ほど年上だが、それだけが理由に

なる?

あらためて指摘するまでもなく、冷淡で、敵意のある表現だ。


ただし、本心というより「仕込み」なのかもしれない。

いわゆる“逆ギレ”を狙った可能性もあるが、酷すぎる対応に、

冷静な態度を崩さなかった政治家の方が、後で高評価を得ていた

のは皮肉と言うべきか。


さて、今日は、またあのご婦人と顔を合わせるだろうか。


元気爆発の猫が、気づかぬところで、そんなにしおらしく言外

のコミュニケーションをしていたとは知らなかった。

猫よりも、日本人同士の自然なコミュニケーションには不慣れな

身だが、次は、心を開きことばを交わしてみよう。


             「安国寺」(兵庫県豊岡市)

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