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  • 日本語空間

どの地点をゴールとみなすか

文章を書いていて、一番悩むこと。

それは、とりもなおさず、「いつ」その文章を手放すかと

いうタイミング!


何を言っているかわからない、という声が聞こえそうですが…

つまり、文章は、一回書き上げて終わり、というわけには

いかないということ。


だいぶ前、ブログに書いた通り、「推敲(すいこう)」は、

提出や公開の前に、必須の作業です。


それは、各文、もしくはその文中の表現の細部にとどまらず、

構成や論理性、修辞の見直しをも含みます。


しかし、当該の改善点は、書いている最中には、筆者自身に

気づかれないことが多く。

少しの時間を置き、見直しをする(己の文章を客観的に眺める)

ことで、以前には見えていなかった問題が浮かび上がってくる。


1.翌日に見直す。

2.ワープロの画面上でなく、プリントアウトしてチェックする。

→鉄則ですね!


私は、研究の関係で、近代に書かれた日本語の文献を、読むこと

があります。

その文章の手ざわりは、今書かれたものとは、だいぶ異なって

おり、「名文」に感心させられることが少なくありません。


思うに、これは、手書きとワープロ書きの差ではないか? と。


特に、ペンで手書きをしていたときには、書き間違いは好ましく

ないこともあり、良い意味での「緊張感」があったのではない

でしょうか。


それに比し、現在は、いくらでも書き直しができるため、気を

抜いていても後で何とかなる、と考えてしまう?


いずれにしても、緩急やメリハリのある文章は、良い意味での

緊張感を備えています。

それは、端然として美しいだけでなく、ごく一般的な意味で、

読みやすいのです。


とはいえ、どのような論述にも、締め切りはあります。

以前に、大学院の先生が「締め切りがあることは“救い”だね」と

おっしゃり、私も「同感です」と答えました。


すなわち、完璧を目指すあまり、潔癖になりすぎると、蟻地獄に

落ちたごとく、その中で永遠に? もがき続けることになる…!


では、そんなに悩む必要はないかというと、悩むこと自体は、

通過儀礼であり、むしろ経るべき地点なのです。

あるいは、他人に「読んでもらう」ための文章の作法(さほう)

を体得する過程ともいえるでしょう。


それゆえ、私は、自分自身の執筆する学術論文でも、仕事で

サポートする留学生の論述でも、まず、ゴールを確認し、

「逆算」をおこないます。


その中から、何ができて何ができないか、柔軟でありながら

希望に近づけるべくタイトに、取捨選択をしていくのです!
























2021.7.15


ユーモラスでもありアイロニカルでもある…

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