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はたして「何」を「わきまえる」のか…


「わきまえない女」がツイッターのトレンド1位となり、 SNSをにぎわせています。 興味深い。 「出火」原因は、昨日のオリンピック組織委員会会長 の森喜朗さん(元首相)による発言で、以下の通り。 「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる (ので困る)」。 「組織委員会にも女性はいるが、みんなわきまえて おられる」。 結果として、国内外から、時代錯誤の女性蔑視という 批判を浴びました。 ここで、ひとつめの問題は、女性の能力が劣っている との決めつけ。 もうひとつが、「わきまえる」の意味です。 組織委員会の女性が、「何」を「わきまえている」のか? 明示されていません。 「わきまえる」は、元来、物事を弁別し、客観的な 位相を把握する、真理を悟るというように知的な使い方 をされていました。 漢字では「弁える」と表されるため、私は、学部時代に 「日本政治思想史」の時間に学んだ江戸時代の儒学者・ 荻生徂徠(おぎゅうそらい)の「弁道(べんどう)」 を想い起こします。 しかし、学問はさておき、一般の世界で「わきまえる」 の語は、実際の使用が難しくなった感がある。 なぜなら、立場を自覚することにより「忖度(そんたく)」 したり、必要であっても口を閉ざす、行動を起こさない というように、しばしば解釈されるから。 その上で、「わきまえる」ことは肯定されてきた。 「自分の立場をわきまえろ!」 「申し訳ございません…」 という風に。 今回は、女性に対してだったけれども、下の立場の人間、 若者、部外者に対しても使われやすいので。 先日、日本語の高コンテクストな性格について記しました。 ことばと文化は、切り離せませんが、国際化の進展した今日、 「わきまえる」の語も、ある時期から使われてきた意味内容 が、問い直されているのでしょう。


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