- 日本語空間
読んでは書くー大学院の先生でも―
昨年末、外国の研究所に投稿し、2月に査読をパスした
私の論文。
めでたく、その研究所が発行する学術誌に掲載される
運びとなったのですが、そろそろ着くころかな? と
待っていても、一向にその気配がない…
遠慮がちに、先日、編集委員会に確認をしたところ、
手違いで未送だったと判明。(涙)
思い切って連絡してよかったです。
いえ、全然気にしていません…
遠慮がちに、と書いたのは、担当者は、当然ながら、
出版社の編集者ではなく、大学や大学院の先生なので。
教えることやご自身の研究だけでも、大忙しなのに、
そのような中、研究全体に寄与し、外国人の私にも、丁重に
接してくださっていることに、頭が下がったからです。
さて、各種の手続きのため(多くは推薦に際し)、大学や
大学院で、担当教員に一筆書いてもらう機会があります。
そのようなときは、「何」をだけでなく、「どう」の部分も、
やはり大切です。
率直に言って、先生方の中にも、文章の巧拙(こうせつ)はあり…
とりわけ、推薦文のような場合、その筆力は「説得力」に
関わるため、気になるところ。
博士課程のとき、私は、研究科長だったK先生に、何度か
そのようなお願いをしました。
専門分野は、部分的に重なりつつまったく同じではないにも
かかわらず、先生は、そのつど、見事な文章を書いてください
ました。
それを読んだ後、客観的に、自身が研究している総体を、
把握し直せたほどです。
ああ、こういうことだったのか! と。
しかし、研究科長ともなると、学生や教員と長い時間接し、
その合間に研究科全体を統率せねばならない。
こちらから送ったメールに対する返信が、午前4時などと
いうのは、珍しくありませんでした。
ほどなく任期を修了したK先生。
それ以降、図書館で、姿をよく見かけるようになりました。
K先生以外にも、時折、図書館で姿を見る先生がいる一方で、
そのような機会がまったくない先生もおり…
アカデミックな場での、教育と研究の両立は、教員にとって
の課題ですが、教育に多くを割かねばならないポジションから
解放され、すぐに一研究者の時間を取り戻したK先生。
これまでに、膨大な量の読書をされてきたことでしょう。
大学院生のまま年齢を重ねられたような風貌を、懐かしく
思い返しながら、私は、その「後塵を拝する」のではなく、
「出藍の誉れ」となったとき、真の恩返しが叶うと信じています。

異国に眠る人々...
2021.6.9