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コンテクストを巡って

今年、大学編入試験のサポートをおこなった留学生が、併願の

一つを、「日本語教育」専攻にしたいというので、話し合った結果、 関心領域を絞り、志望理由書や学習計画書でアピールすべく、

日本語のコンテクストについて学びたい と書くのはどうかと提案 した(他にもいくつかを例示したが)。

それに伴い、久しぶりでエドワード・T・ホールの『文化を超えて』

を読んだ。 初読は、修士課程1年時だったと記憶している。 同書が、日本文化の高コンテクスト性について論じた個所には、 一定の説得力を感じたものだった。 以前に、これは「読まねばならない」と思わされた書が、数年後に 再読すると、色褪せていたというような経験は、少なからずある。 今回、同書を読んで感じたのは、やはり、着眼点には得心するものの、 やや雑漠とした内容だな、ということ。 そんな折、コンテクストに関する論文をキーワード検索していて、 なぜかヤフーの記事で、ある大学の教員が、『文化を超えて』に ついて書いているのを見つけた。

内容を要約すると、○○文化(○○には国名)は、高コンテクストだ、

低コンテクストだという説には、粗雑なものが多く、実証的な研究は

未だ成功していない。

ホールによる原著は、文章のみで、図式化はおこなわれていない にもかかわらず、それに依拠した図やグラフが出回っている。 そのため、「孫引き※の孫引きの、そのまた孫引きのような図を、

まるで原典から引用したかのように書くのは本当にダサいのでやめて

ぼしい」というもの。

読後に、違和感をおぼえた点は、いくつかある。


メッセージが発せられているのは、同業者すなわち研究者のみならず、

評論家やコンサル、セミナー講師に対してであり、そこには「素人が

知ったかぶりをするな」という上から目線が感じられる。

学界の外部に対しては、「研究者でも」実証に失敗しているのだからと

いう論拠に立っての態度なのだろうが、コンテクストに関する実証が

成功しない例については、まったく言及されていない。


一方で、それでは、筆者が、当該の論に異を唱えているのかといえば、

さにあらず。

ホールが示した高・低コンテクストの概念や、文化比較の視座には、

今でも「重要なものが多い」という。

だが、重要なその論拠もまた、示されてはいない。

まず、実証が難しい点の一つに、各国の文化コンテクストに関する

研究をおこなうには、 基本的に、複数の外国語に通じていなければ

ならないという理由が考えられる。

研究に限らず、客観性を獲得するのに、比較・対照という行為は欠かす

ことができない。

だが、数か国語を使いこなす「達人」級は、ざらにいても、世界中の

ことばに通じる人間となると、ほとんど存在しないだろう。


それで、数あるテーマの中から、当該の研究を選ぶのは、躊躇されるの

が正直なところではないか。

ちなみに、筆者は、日英の言語に関する研究をおこなっているようだ。

コンテクストの高低を論じるに際しては、日本語と英語の比較だけで

済む話では無論ないとは、ご自身が充分理解しているゆえ、かえって

真実を書きづらかったのかもしれない。

二つ目の、そうであっても、ホールの論が今でも重要だと考えられること

については、私自身も賛同する。

その理由としては、彼の分析が、具体的な経験に基づいており、統計的な

数字にとどまらないこと(長くなるので、詳細は後日に)。

また、日本の社会に変化はあるといえ、戦後から引き継がれた当該の構造

が、硬直化し、変わりえないことにより、現在、さまざまな矛盾が起きて

いるという問題はしばしば指摘されている。


換言すれば、急激な変化が、日本人には好まれていないともいえ、それは

近代を見てもある程度同様な状況であり、時代をさらにさかのぼれば、

近世における鎖国受け入れの態度にもつながっている。

そこには、可視的な表層部の下に「古層」が温存されている事態が想像され、 高コンテクストな文化的性格には、上述した心性と深く関わる島国という

地理的条件も勘案せねばならないだろう。

それは、筆者がいうような世界的に日本文化を「無根拠に」ユニークと

する「ダサい態度」などではなく、各々の文化が備えた固有性として、

いったんは首肯しうるのである。 ※孫引き:他で引用されている事項を、自身で調べず、そのまま引用      する行為。      学術論文においては、無効。

2021.12.15

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