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タイトルに導かれる

学術的な論文や著書にかぎらず、「読んでもらう」ことを

想定して書く文章なら、読み手に「読みたい」という気持ちを

起こさせるのが得策だ。


あまたの書き物のなかに埋もれてしまわぬよう、ライバルに

引けを取らぬようにするには、タイトルからして「光る」もの

でなければならない。


以前にも書いたが、私は、二つの種類の読書をおこなっている。

すなわち、専門に関するものと、教養を強化するためのものだ。


前者は、キーワード等で絞り込むので、当たり外れはあまり

ないし、選択にあたり躊躇するようなこともない。

対照的に、後者の場合、同じジャンルのなかでどちらを選ぶか

迷った場合、タイトルの比重が高くなる。


中でも人文書は、学術的であったり専門的であったりしても、

レトリックが効いているので、貸し出しの制限冊数のなかで

くじを引くように? 一冊を取り出すのは、たのしくもある。


ところで、少し前に、日本の若者の間で、アナログレコードが

はやっているというニュースを紹介した。

古いLPタイプのレコードには、「帯」の部分に、当時書かれた

キャッチコピーが載っており、それがついているかいないかで

(だいぶ時間が経っているので紛失しているものも多い)、

価値が大きく変わるという。


視聴しないで購入するとき、ジャケットのデザインやキャッチ

コピーは、貴重な情報源となる。

それがいわゆるメタ情報で、「ジャケ買い」とは、本体(音源)

でなく外見(ジャケット)が呈示するものに惹かれ、手に入れる

行為を指すようだ。


本の場合は、レコードやCDと異なり、デザインだけで買ったり

借りたりすることは少なく、やはりタイトルの比重が高いだろう (図書館に入る際、新刊の帯は外されてしまうし)。


たとえば、『懐手(ふところで)して宇宙見物』(寺田寅彦著)

などは、一見してユニークである。

懐手とは、和服を着たとき、手を袖から出さず両方をつなげて 組む姿を指すもので、旧い文化人(主として男性)のイメージだ。 尺八の音響を研究した物理学者で、俳人でもあった寺田のスケール を表現するには、いかにもふさわしい形容と感じられる。

さて、私は、論文を書くとき、一人ブレインストーミングを

おこなったのち、まずは、仮題を考える。

それが、スラっと出てきたときには、良い論文になる手ごたえ

がある。


論文の本文は、いきなり書いて、書いて、書きつなぐことなどは

ありえず、まずはデッサンをおこない、書いてはリライトを

繰り返すので、最終的に、タイトルも微調整されることとなる。

それでも、最初に浮かんだタイトルが、大きく変わったことはない。


今までで、いちばん気に入っているタイトルの拙論には、それを

アーカイブで目にした海外のジャーナルからオファーがきた。


実は、大学院に入ってから、タイトルの付け方に関して教えられた

ことはないし、タイトルを直すよう注意されたこともない。

専攻分野を問わず、研究に際しては、各自が大量の文章にあたる

ので、その過程において、作法とセンスが身についていくのだろう。


それゆえ、中身が大切であることはいうまでもないが、当該の

文章が読まれるように導く「タイトル」は、サバイバルをかけ

「浮上する」ためにも、重ねて留意すべきなのである。



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