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デッサンを共に

学術論文に限らず、大学や大学院の入試に際しての

志望理由や研究計画書など、一定の長さの文章を

書かねばならない機会がある。


ことば遣いが正確でなければならないことは、基本

の基本で、求められているのはその先。

すなわち、他の人間ではなく、自身にしかできない

何かしらのアピールだ。


とりわけ学術論文の場合、それは新規性や独創性に

当たり、何より優先させられねばならない要素なの

である。


とはいえ、論述の経験がないと、何からどう始めたら

よいか? わからないのも無理からぬこと。


そこで、「デッサン」をおこなうため、会話をしながら

使えそうな要素を書き出していく。

意外に思えるかもしれないが、この段階では、ラフ

スケッチくらいにし、外郭を狭め過ぎないことが肝要。


きっちりしようと、要素をそぎ落とし過ぎると、無意識

に核となる部分をみずから捨ててしまったりするので、

むしろ手持ちのカードは多く残すべきだ。


そうして、執筆に入ったのちも、必要に応じ軌道修正

のため、再デッサンをおこなうことがある。


昨日、授業の中で、論文の軌道修正をおこなったが、

今日、さらにデッサンを重ねた結果、薄かった描写の

濃さが増し、全体像が鮮明になってきた。


数多くの論文を執筆している人間には、自明の理だが、

デッサンもそこそこに、いきなり書き始めたら、

結局、後になり大きく削らなければならなくなるケース

もめずらしくなく、急いでいるつもりで回り道すること

となってしまう。


大海に、可視的な「道」は存在せず、船が前に進んだ

とき、はじめてその後に水脈が浮かび上がる。

そのように果てしない海原の「水先案内人」として、

共にデッサンをおこない続けている。


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