勉強でも、仕事でも、ただ下から積み重ねていくボトムアップの
方式は、合理性の観点からは適切でない。
まず初めに、目標を「見据え」、そこに到達する道がいくつあるか、
どのような方法でなら攻略が可能か、徹底的に分析することは肝要だ。
その上で一歩を踏み出せば、すでに目標は、半分以上押さえられた
も同然といえよう。
少し前に、『生物と無生物のあいだ』を例に引き、帰納型と演繹型
の研究者について述べた。
ひたすら地道に、実験を繰り返し、みずからは気づかないまま、
遺伝子情報の謎に迫っていたロザリンド・フランクリンの努力は、
それ自体、貴いものである。
だが、実際に自身ですべてを精査し尽くす前、類推や措定という
方法をもちいることで、新しい発見や、目標達成への「近道」が
可能になる場合がある。
彼女が積み上げた結果を、一瞥しただけで「閃き」を得たジェームズ・
ワトソンとフランシス・クリックが、ノーベル賞を獲得したことに
ついて、著者は、彼らに「準備された心」があったからだと述べた。
換言すれば、彼らは、より多量で多様な「リファレンス」を有していた
ということだろう。
やはり、「真面目にコツコツ」だけでは、前人未踏の地には達しえない。
リファレンス=豊かな参照軸は、勘の鋭さや戦略の方途に通じ、迂回
せねばならない道を、一足飛びにさせることも可能なのだ。
高度な研究に限った話ではなく、たとえば、入学試験において、難易度
の高い大学や大学院に、短期決戦で合格したいとき、下から努力を積み
重ねていくだけの学習方法では、到達点である「入学」が、1年先延ばし
になってしまうかもしれない。
学部の卒業論文や、修士論文、博士論文においても同様なことがいえる。
書きあぐね、己ひとりの力技で何とか押し切ろうと、字数を満たした
ところで、中身のない器(うつわ)は、結局、見せるべきものを持たない。
そこで不可欠なのが、限られた条件の中で、最適解を探す作業と、その
サポートに他ならないのである。
「日本語空間」は、そのような量産型でない少数精鋭主義の授業を掲げ、
スタートを切った。
まずは、間近に迫った切実な目標を教えてもらう。
そこから、課された問題を分析し、一人一人の学習者の強みを最大限に
引き出した後、対策を練る。
そうして、複数ある「解」の中から、最適解を探っていくのだ。
加速する時代に生きるほとんどの人間にとって、何より切実なのは、
流れてやまない時間と「いかに向き合うか」ではないだろうか。
それゆえ、ボトムアップ型からの脱却は、タイムリミットまでの時間を、
最大限有効に用いるという意味で、むしろ欠かせない。
時間に押されず、時間を押し返そう!
Bibiena Theatre(1775)
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