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一流の「素浪人(すろうにん)」

以前に、ブログで紹介した安藤忠雄(あんどうただお)氏

は、ユニークな経歴の建築家です。


安藤氏は、太平洋戦争の勃発した1941年に生まれ、戦後、

経済的な理由から大学には進学せず、世界を回りながら

「独学」で建築を学びました。

建築界に、新風を起こし、後には東京大学で教鞭を取って

います。


高齢化社会の中で、「人生100年時代」の語は、すっかり

定着しました。


現役の学生の皆さんには、未だ実感が湧かないかもしれま

せんが、日本の「職人文化」の粋として、また生き方の

一つの手本として、見てもらえればと思います。


https://news.yahoo.co.jp/feature/1807



インタビュー「ボクサーから建築家へ」 安藤忠雄


自らを「素浪人」、自分を支えるものがなく、誰からも認められない人間だと捉えている。

学歴も社会基盤も、特別な才能もない。困難ばかり。そういう人間ですから、ひたすら全力で生きるしかなかった

1941年9月、大阪市に生まれた。終戦後は祖父母のもと、長屋が立ち並ぶ下町に住み、近所の木工所や鉄工所の職人を見て育った。

「10代の頃は50年代ですから、社会もまだ貧しく、未来への希望など見えなかった。その代わり、夢はあった。14歳の時に自宅を2階建てに改装することになって、近所の大工さんが工事に来ました。昼飯も食わず、一心不乱に働く大工さんの姿を見て、美しいと思った


これが建築の道を志すきっかけとなる。中学校を卒業したら大工の見習いをするつもりだった。だが「高校は出ておきなさい」と祖母に言われ、工業高校へ進学。高校時代の安藤は、プロボクサーとしてファイトマネーを稼いだ。

「高校2年生の時に近所のボクシングジムを見学に行きました。そこで、これはいけるな、と。入門から1カ月でプロの試験があって通過しました。1回戦ったら4000円もらえるんですね。当時、大卒の初任給が1万円。けんかしてお金をもらえるっていいなあと。子どもの頃から、本も読まず、音楽も聴かずにけんかばっかりしてた人間ですから」

試合に出場するため、タイまで船で遠征したこともあった。しかし、1年半ほどでプロボクサーの道をあきらめた。

のちに世界チャンピオンになったファイティング原田の練習を間近で見たんです。これはとんでもないと思って、やめました。人生はあきらめも大事なんです。一心不乱、一生懸命やるのも大事だし、あきらめるのも大事。これを10代で学びます


家庭の経済事情を踏まえ、祖母に負担をかけまいと、大学には進まず、独力で建築を学ぶ。

独学のため、京都大学の建築学科に行った友人に教科書を購入してもらいます。読みます。分かりません。小中学校の頃から学業の成績は悪かったので。60人中4番ぐらい。下から勘定してね。それでも、何回も読んでるうちに、ちょっと分かってくるもんなんですね。うまくいかないなら、腹を切ってやるぞぐらいのつもりでコツコツと勉強しました

大学4年間で読む本を1年で読破すると決め、読書に明け暮れた。アルバイトをしながら、通信教育で作図の基礎やグラフィックデザインを勉強。22歳の時、国内の建築行脚をする。


海外渡航が自由化された翌年の65年、安藤はアルバイトをしてためたお金で一人海外へ旅立つ。

祖母からこう言われました。『お金をためてどうするのか! 使って、自分の頭、自分の体の中に残したほうがいい。ヨーロッパに行って、一番高級なホテルにも、一番安いホテルにも泊まる。いろいろな生活を体験してみたらいい』と

当時、1ドルは360円、持ち出しが500ドルまで。18万円を持ってヨーロッパへ向かったが、これが長い世界旅行になった。

横浜港から船でナホトカに行って、シベリア鉄道でモスクワへ。フィンランドから、ヨーロッパをぐるぐる回ります。世界中、いろいろな生活がある。帰路はアフリカにも寄っていこうと、マルセイユからセネガル、象牙海岸、ケープタウン。マダガスカル島からインド洋を渡り、8日間かけて今のムンバイへ。インドで空を見上げた時に、星がもう落ちてきそうに美しかった。『この地球は大きい。けれども一つなんだ』と実感しました。7カ月の旅を終えて神戸港に着いた時には、500円ぐらいしかなかった」


95年には建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞。大阪を拠点としながら、世界各国で活動する。どこへ行こうとも、安藤は大阪弁だ。U2のボノ、ジョルジオ・アルマーニ、ダミアン・ハーストなど、クライアントとは仕事を超えた信頼関係を築いているが、英語を話さない。

「私は日本語だけですから、相手は気の毒ですよね。それでもうまくやっていけているのは、安藤忠雄建築研究所というチームがあるから。この出来の悪い、変わった人間をサポートするのは大変ですよ。若手なんかは、親方の日本語は、英語より難しいと思っているでしょうね。チームがなかったら、仕事は前に進みません。一人では何もできないんですよ。スタッフだけでなく、クライアント、建設会社、大工さん、左官屋さん……みんなで一緒につくっているという気持ちを忘れないようにしないと


「こども本の森 中之島」の入り口には、青いりんごのオブジェが設置されている。安藤が米国の詩人サミュエル・ウルマンの「青春」の詩から着想したものだ。詩には「青春とは人生のある期間ではない。心のありようなのだ」「希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」と綴られている。「目指すは甘く実った赤りんごではない、未熟で酸っぱくとも明日への希望に満ち溢れた青りんごの精神」と安藤は言葉を寄せた。








G.アルマーニと。













 初期の代表的建築「住吉の長屋」

現在まで、個人宅として使用されて

いる。



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