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中心/周縁

春は天気が変わりやすい。

昨日も予報が外れ、夜から雨となった。


しかし、春の雨は、季節が明るい方に向かう兆しを

はらみ、優しく降り注ぐようだ。

その音を耳にしながら、眠りに就くのは、ふしぎと

心地よい。


一方で、混沌とした世界の状況を見やれば、自分だけ

安眠を確保することに、罪悪感をおぼえもするのだけれど…


先日、ある討論番組で、現今の東ヨーロッパにおける

戦争について、そればかりを取り上げるのは、情報の

偏りではないか? という指摘がなされていた。


日本は、以前から国際情勢に関する報道の数が少なすぎ、

その意味では、今回の報道の姿勢は「一歩前進した」と

いえなくもない。

だが、結局、欧米(西側)に関する有事は熱心に取り上げる

のに、その他の地域、特にアフリカなどで起こっている危機

には黙殺を決め込んでいるのではないか、と。


実際、世界のパワーバランスにおいて、中心となる地域は、

これまで常に注目を集めてきた。

一方、周縁にとどめおかれた地域は、内部から立ちいかない

状態になっていても、容易に救いの手が差し伸べられること

はないのが現実だ。


われわれは、あまたの事象のなかから、何かを選んで見ている

つもりでいて、実際には、何かを見せられ、世界を理解した

気になっているのかもしれない。


ただし、完全に透明で中立な報道は、まずありえないし、万人に

とりたった一つの絶対的な真実に到達することもかなわない。

それでも、簡単にわかったつもりにならず、より客観的な事実

を不断に求める姿勢がたいせつだ。


たとえば研究においても、最終的には調査、分析したものを文章

にするため「まとめ」の作業に入らねばならず、そのとき視線は

集中される。

しかし、そこに至るまでの過程では、「中心」を自明視せず、

「周縁」にまで目配りをし、懐疑しつつ手探りで進まねばならない。

ときに大胆に、また繊細に。


2022.4.2

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