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使い分けを好む日本語

太古、日本が名もない列島だった時代、人々は、意思の疎通を図る

のに、話し言葉しか有さなかった。


強大な国家の周縁から出発した地に、その後もたらされた漢字は、

日本人にとって、いわば貴い文明の器とみなされながら、適切な

用途は、すぐには見つからなかった。


だが、試行錯誤しながら、日本人は、すでに有していた自分たちの

ことばを、漢字に当てて、読み下していく。


そこから、ひらがなやカタカナが誕生するが、三種の文字は、どれも

排除されず併存することとなった。


後発の者が、アイデンティティを確立するため、“固有”にこだわる

のは、宿命といえるのかもしれない。


それでは、どうやって“われわれ”のことばに特徴を出すか?


場面に合わせ、こまかく使い分けるのはどうだろう・・・


それには持てる文字語彙が多い方が有利だ、と先に考えたかどうか

は判然としないが、結果的に、その形態のまま今日に至った。


弱小の国であったからこそ、スケールの大きさがない分、ささやかな

オリジナリティ(?) に、こだわってきたともいいうるだろうか。


興味深いのは、現代においても、新語が次々と生み出される一方で、

相当に古い語が、温存されていることだ。

とりわけ、書き言葉には、変化のはやい話し言葉に比し、長い時を

経てきたものが多い。


さて、昨日、“こなれた”表現について触れた。

手近な例で、ブログの記事のタイトルに、二つの候補を挙げ、考えて

みる。


「日本人はよく言葉を使い分ける」

「使い分けを好む日本語」


どちらがこなれているかは、外国人学習者でも、すぐにわかるだろう。


一つ目は、文法も文字語彙も間違ってはいない。

会話の中で使う分には、自然であるかもしれない。

とはいえ、タイトルとしてはたどたどしく、間延びしている。


日本語に限らず、ことばは、意味が通じればよいというものではない。

とりわけ、学びの場や仕事の場で、端然としつつこなれた表現を

知っているのといないのでは、大きな差が出るだろう。


実は(無論というべきか)、日本人であっても、表現に対する意識

の高低は存在する。


私が、かつて出会った外国人の何人かは、日本人を凌駕するような

表現に対する意識の高さを有し、使い分けに通じていたのだった。













気象学者の荒木健太郎氏が撮影した「彩雲」。

太陽が積雲に隠れたタイミングで、雲の

輪郭付近を見ると、簡単に見つかるという。

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