- 日本語空間
出(で)だしの一行
建築家の槇文彦(まきふみひこ)氏は、今日、歴史的な「時間」軸
(じかんじく)よりも、「空間」が意識されている、と語っています。
われわれは、過去の時代のように、同じ時代の、同じ船に乗り合わせている
という感覚を、もはや持たない。
そうではなく、各人が、大海原(おおうなばら)に「漂(ただよ)っている」
のだと。
とはいえ、そのバラバラな中にも、潮流は見出せるはずで、そのひとつを、
「共感としてのヒューマニズム」である、と指摘します。
たとえば、「これで安心して死ねます」と、市民がいえるような葬祭場
(そうさいじょう)を、設計するとき。
建築家は、その「出だしの一行」から、全体を紡(つむ)ぎだしていかねば
ならない。
槇氏はまた、別な場所で、「書くこと」と「つくること」を、同じ思考の
原点を分かちあう、と述べています。
書くという行為は、基本的には、ひとりの作業です。
単に書くことは、出だしの一行のあとにも、平面に書きつけていけばよい
わけで、立体をつくることよりは、自由度が高いともいえます。
かたや建築は、建築家が、出だしの一行を記しても、それ以降、さまざまに
異なる意思の介入があります。
しかし、その不自由さを意識しながら、人間と空間の望ましいあり方を、
追求してやまない建築から、学ぶことは尽きないようです。
※テキスト
槇文彦『漂うモダニズム』左右社(2013)

槇文彦 設計『風の丘葬斎場』