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判官(はんがん)びいき
明後日のJLPTは、コロナウイルスの影響で、受験が不可能
になった場所もあるようです。
今年6月のEJUも、全面中止となりましたが、予定を立てて
いた外国人学生の皆さんには、どれだけ遺憾なことか、と。
特に、それを受験等の資格に使おうとしていた方は、予定
が狂ってしまったことでしょう。
さて、以前に、小論文対策の授業で、世代間格差に関する
テーマを論じていたとき、学生の方が、若者より高齢者を
尊重すべきと発言した、という文章を書きました。
私は、その反対の意見であったことも。
無論、言論と思想の自由は尊重されねばなりませんし、
私は、自身の意見と異なる意見にも、一応は耳を傾けます。
しかし、最新のニュースを見るにつけ、より大切に扱われる
べきなのは若者であり、彼らの「知」や「信」に自由を与え、
活かすべきだという念が募っています。
何より未来を担う者たちに。
ものの見方は、どちらの立場に立つかで、180度も変わる。
信念を持ってはいても、独善的になることは、みずから戒め
たい。
だが、しかし――。
日本には「判官(はんがん)びいき」ということばがあります。
鎌倉時代に、悲劇の最期を遂げた九郎判官(くろうほうがん)
・源義経(みなもとのよしつね)に由来するもので
→「義経をひいきする」、つまり強者よりは「弱者の立場に
思い入れる」ひとびとの心情です。
一昨日、理由不十分で収監されたアジアの若き活動家たちに、
公人、私人を問わず、日本のひとびとが同情を寄せている
のは、政治的な立場や理性的な判断より「判官びいき」から
くる態度でしょうか。
彼らを「弱者」と決めつけるのは、失礼かもしれませんが、
強い後ろ盾を持たない青年存在なのは事実であり、それにも
かかわらず徹底して信条を貫こうとする姿には、人間の尊厳
をおぼえます。

右側は、牛若丸(うしわかまる)=若き日の義経。
ひげ面の大男・弁慶(べんけい)が、一見
か弱い少年剣士に振り回され、降参する。
その後、弁慶は義経の忠実な従者になり、
運命をともにしたというお話。