• 日本語空間

境界に立って

先日、ブログで取り上げた社会人の方(日本の大学院に

合格したばかり)の最終的な目標は、「日本での起業」だ

という。


昨夏からサポートをおこない、昨秋、晴れて大学院生と

なった方の夢も、「日本で起業し、ゆくゆくはそれを

母国にも展開すること」だった。


先行きが不透明な社会状況から、かえって賭けに出る姿勢

が、昨今の傾向としてうかがえ、各人のようすは非常に

たのもしい…!


木曜日の晩、将来、日本での大学院進学を視野に入れつつ、

日本語の超級レベルを目指し学ぶ、外国在住の学習者の

方から「どうして色々な専攻に対応できるのですか」と、

素朴な質問を受けた。


理由の一つは、以前に日本語学校や専門学校で、大学・

大学院進学クラスを担当していたことにある。

そのときは、2年次の学年末には、何があっても全員を

どこかの大学・大学院に進学させねばならず、彼らの将来

のため、少しでもレベルの高い所へ入れてあげたい、と

奮闘したものだった。


特に、何度も任され(引き受けたがらない講師が少なくない

という事情もある)、力を入れたのが「小論文」の授業。

過去問を徹底的に分析し、私自身が模擬問題を作り、受験者

に解いてもらうことで、合格率が高まった。

→いわゆる名門大学の難易度の高さよ…!!


基本的な日本語のみの勉強なら、レベルごとにクラスで

分けられており、指導も難しくない。


だが、進学クラスでは、全員が異なる大学の異なる専攻を

志望するのだ。

それゆえ、全体授業で一斉に学びつつも、常に個別の対応

をおこなわねばならなかった。


こうなると、日本語学校でなく、予備校の様相を呈してくる。

だが、予備校なら国語は国語、社会は社会と、当然担当は

決まっている。


それゆえ、事態はより複雑だ。

すなわち、日本語の運用を強化しつつ、学生の異なる専攻に

ひとりで向き合わねばならない。


自慢ではないが、学生が志望する専攻に応じて、山ほど読書

をした。

もともと読書や文章を書くことが好きだったことが幸いした

が、週末も、ずっと本を読んで過ごした。


不断の読書が、一定量を超えると、知識が体系化し、論理的

思考も格段に伸びていく。

結果として、学際的学びに意欲をおぼえ、自身が大学院へと

進み、研究のおもしろさに目ざめ、博士課程まで修了するに

至った。

それが理由の二つ目となる。


現在も、自身が苦手な領域を強化しようと、模索を続ける日々。

そのように、たとえ専門でなくとも「関係のない分野などない」

とするのが、学際領域に身を置く者の矜持(きょうじ)とも

いえよう。


実際、上述した2人も、「経営」専攻でありながら、アプローチの

方法によっては、社会学や法学の専攻でもおこなえそうなテーマ

を設定していた。


そう、21世紀の今日、モノディシプリナリーであることにこだわる

研究者はおらず、仮に深く考えずそうしているなら、かえって

研究に就くまえの態度に、問題を指摘されるかもしれない。


主軸に足を置きつつも、蛸壺(たこつぼ)の内側にもぐり込んで

しまわず、開かれた研究をおこなうこと。

めまぐるしく転変する世界にあり、境界に立ち、世界を見渡し、

それから思考の途に就こう。










  求心的な磁場に落ち込まず、     遠心性を確保すること。

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