- 日本語空間
境界を越えて
仕事の合間に、事務所の窓を通し、冬の太陽が射す庭を
眺めていると、パンデミックで世界が混乱していることが
ふと夢のように思われる。
フェンスと芝生と、はえかけたわずかな雑草からなる世界
―ひとのいない―は、しんと静まり返っている。
ポストヒューマン的状況にあり、そのような場所から、
「人間的尺度を超えた時空」に想像を巡らせる。
それは、オカルトでも妄想でもなく、可能世界を描くのに
必要な態度といえるだろう。
さて、先日、リベラル・アーツについて言及したが、その
基となる教養は、本来、文理にまたがるものでありながら、
実際、大学等で導入されている科目には、文系が多い。
だが、この先も人間が存在してくためには、理系の教養も、
さらには両者を行き来できるような強靭な知が、求められて
しかるべきだ。
フリーマン・ダイソン著『叛逆としての科学』に収められた
「科学者、管理者、詩人としてのオッペンハイマー」の章には、
マンハッタン計画を監修し、「原爆の父」と称された
ロバート・オッペンハイマーの知られざる顔が素描されている。
文理を問わない教養の持ち主であった彼は、また、後進の研究者に、 適切な場を勧める貴重な「知の媒介者」でもあった。
戦後、コモンウェルズ財団フェローのプログラム管理と研究機関
への割り振りを担当していたオッペンハイマーは、学界全体の
振興を図ろうと、あらゆる研究者が、より良い研究をおこなえるよう
心を砕いたのである。
その守備範囲の広さといえば、18世紀イギリス文学、アメリカ原住民
音楽、社会心理学、記号論理学等々、と瞠目すべきもので、研究者
の卵を、○○大学の○○研究室、○○教授のところへ、という風に
采配を振るったそうだ。
核のように、人類の運命を左右するような代物を製造する能力が、
きわめて豊饒な知に支えられていたのは、事実であったがゆえに、
それを「皮肉であった」といって済ませられるものではない。 そうではなく、当該の知を生かし、その暴走に歯止めをかけるのも、
したたかに鍛えられた知であることを、再認識すべきではないか。
実際、専攻の人数が多いのは文系だが、そちらの側に軸足を置いて
いても、抽象的な思考を鍛えていくと、理系的な発想に近づいていく。
天才の後に己のことなど記すのは、恐縮の至りだが、私自身、少し前
から、理系脳をつよくしたいと、おぼつかない感じで試行錯誤を
繰り返している。
それはただ必要だからとか、役に立つからというだけでなく、
原動力は、何より知的好奇心だ。
手応えはあっても、確信まではいっていないものの、進める限りは
境界を越えていきたい、と切に希望する。
時の人である斎藤幸平氏と東京大学の研究者たちによる議論です。
斎藤氏は、大学院の経済研究所で教鞭を取るにとどまらず、
日本の言論状況をアクチュアルに活性化させています。
上述した文章における「文理」のつなぎ方にも、後半で少し触れて います。 少し長いですが、興味のある方はご覧ください。