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大分岐(だいぶんき)

数年前、K・ポメランツの『大分岐』という本が話題になった。

近代以前の西洋と東洋の文明的発展には、さほど差がなかったのを、 18世紀以降、両者がいわば明暗を分けたのはなぜか? と問う

内容である。


その後、“大分岐”が、本や論考の題名にしばしばもちいられる

ようになったのは、この論が鮮烈だっただけでなく、“大分岐”

の語そのものにインパクトがあったからではないかと思われる。


当該の論の妥当性はさておき、3世紀以上も昔の出来事は、現在

進行中の出来事よりは対象化がしやすい。

パンデミックに見舞われた現在も、ずっと後の世から見れば、

あるいは何かの“大分岐”にあったと指摘されるのだろうか ――


悠久の「時」の流れにくらべ、人間ひとりの生涯は、儚いものだが、

それでも後で振り返るとき、誰しも、あれが大きな分岐点であった

と振り返られるときがあるかもしれない。


私自身についていえば、いちばんの分岐点は、働きながら大学院

で学ぶことを決めたときだったといえる。


大学までは、さほど勉強熱心ではなく、茫漠とした状態で、

「右へ倣(なら)え」するように惰性的な学生生活を送っていた。

陽キャ、陰キャの二分(にぶん)に、あてはまるわけもなく、

ただ、どこにいても本だけは手放さなかった。


しかし、だからこそ、多少の社会人経験をしてからの学生生活は、

得心してためらいなく、がむしゃらに進めたと感じている。


何というか、大学を卒業するまで、他人ほどではないものの

「横並び」のあり方をどこかで受け入れていたが、大学院に

入ったとき、そういった縛りから一気に解放された。


昨晩、授業を受けた学習者の方も、新年に友人と会い、

大学院進学の話をしたとき、半分の人は賛成してくれたものの、

半分の人には、なぜ今そんなことするのかわからない、と

いわれたそうだ。


それで、「本当にこのまま進んでいいのかって思うんですよね」

といいながらも、不安を上回る期待に、顔を輝かせている…!


大丈夫。

本当にたいせつな決定は、最後にはひとりで下さねばならない

もの。

だが、自律の一歩を踏み出せば、道は、その先にどこまでも

続いているのが、目に入るだろう。



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