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大学院考(2)

当然のようではありますが、大学と大学院は、その

中身やあり方において、相当異なりがあります。


私自身、大学までは、勉強が突出してできる方では

なく、あからさまに不真面目ではなかったものの、

問い一つに対し答え一つというような学習には

興味が持てませんでした。


時の人、オードリー・タンは、学校に適応できず、

「独学」派であったと聞きます。

あれほど優秀な人物とは、比べるべくもありませんが、

私も独学志向であったとは言えます。


勉強をしなくても、あまり焦りませんでしたが、読書

をしないことには、焦燥感があり、独学の基本になって

いました。

実際、浴びるように本を読めば、それが一定以上の量

を超えれば、自律的な思考が得られるのは事実。


そして、読むことと書くことは一体なので、論述にも

長けてきます。


大学院の修士課程も、博士課程も、入学試験は論文提出

と口頭試問だったので、私には易しかったのです。

大学までは、学知の場には不向きと感じていたのに、

大学院に入ったら、ふしぎと場にフィットしたことに

自分自身が驚きました。


なぜ勉強するのか? などと考えずに、コツコツ真面目

に努力する偏差値秀才のような人は、大学で力を発揮

します。


対照的に、自分で問いを立て、さまざまな角度から懐疑

しつつ、納得するまで答えを出さないようなタイプは、

大学院向きと言えそうです。


最初に、中身とあり方などと平易な書き方をしました。

しかし、アフターダイバーシティの今日、字義にとどまる

それではなく、大学院の真の意義が、切に求められて

いるのではないでしょうか?













  スイスのグレーシア、いつか見に

  行きたいけれど…

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