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好きなことか? 求められることか?

気がつけば、9月も今日で終わり。

午前中は、晴れ間がのぞいていたが、夕方になり雨が降り出した。


昨晩、旧居留地あたりを歩いていたら、洋館の木立(こだち)の間

からかすかな蝉の鳴き声が。


一瞬、聞きまちがえかと思い、耳を澄ませたが、やはり蝉だった。


先日ブログに書ききれなかったことで、現在、転職活動をして

いる外国人の方が打ち明けてくれた話が、今、心に残っている。


その方は、コロナ禍に直面し、異業種に挑戦しようと試み、少なく

ない企業に履歴書を企業に送ったが、手ごたえはなかった。


最初に就いた職業は、のめり込んだり、みずから徹底的にスキル

アップを図ったりするほどの愛着はなかったものの、その分、仕事が

終われば余暇を楽しめ、こんな生活も悪くないと感じていたという。


しかし、かつてないような非常事態を経験し、絶対的な安定自体が

存在しないのなら、新しいこと、好きなことに挑戦しようと思い

立ったのである。


それが、ここにきて、また考えが少し変わったらしい。


なぜなら、異業種でなく、もともとの専門に関わる求人に応募した

ところ、すべての企業から好感触な返事がきたからだ。


自宅待機中の時間を使い、独学で、新しい業種について勉強を始めた

が、専門性の薄さは、すぐにはカバーできず、気持ちが折れそうに

なっていたところだった。


そんなときに、慣れ親しんだ業界から、歓迎を受けたのだ。

心は揺れるに決まっている。


職業や、置かれた立場は異なるものの、私自身にもその気持ちは

理解できる。


社会人学生として、大学院で学ぶことに決めたのは、留学生の

進学クラスを担当したのち、そこで求められているレベルに自身が

追いついていないと感じたから。


もともと勉強よりは、読書そのものが好きだったが、大学院に入って

からは、読まねばならない本が多すぎたので、楽しみのための読書

はしなくなった。


むしろ、それまでの濫読を反省し、体系だった知を構築するため、

主専攻にかかわる本は無論のこと、隣接する分野や、少し離れた分野

の本も、可能な限り意識的に読むよう努めた。


次第に、目的があってはじめた勉強は、自然な営みのようになり、

大変さよりはよろこびが勝っていった。


つまり、求められて(必要に迫られ)はじめたことが、いつしか好き

なことになっていたのである。

今になり、その差は、等質に近づいている。


純粋に好きなことだけで、身を立てていける人は多くはない。


妥協といえば後ろ向きに響くが、現実と「折り合う」のも、悪いこと

ではないし、そこからあらたな視界が開ける可能性もあるだろう。


強まってきた雨に降りこめられ、蝉たちは、どうしているだろうか?


あの声を聴いたとき、湧いてきたのは、しかし、哀れさではなく、

生命に讃嘆する想いだった。


2021年9月某日

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