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字数の重み

大学院生になると、研究者としてのキャリアをスタートさせ、修士論文

や博士論文の準備をしながら、学会や海外のジャーナルなどに投稿する

論文を書くこととなる。

それぞれの課程を修了するに際し、たった一つの学位論文を完成させれば

よいというものではない。

つまり、それなりの研究業績を積まねばならないのだ。


各専攻や研究科の性格にもよるが、修士課程では、さほど審査が厳しくなく、

一方、博士課程では、学位論文のレベルは無論のこと、その他の研究業績

も、学位取得のレベルを満たしているかに関わってくる。


学位論文以外に、どこで活字化のチャンスを得るかは、悩ましい問題でも

ある。

一般的なのは、学会に所属し、論文を投稿することで、縁に恵まれれば、

大学院在籍中から雑誌に寄稿したり、共著や自著の出版に至ったりすること

もある。


かくいう私も、さほどメジャーではないが、学位論文の他に、雑誌へ

の寄稿や海外の研究所への投稿をおこない、幸運にも、それらはすべて

活字化されてきた。


公に発表する文章を書くとき、ほとんどの場合「制限字数」があり、毎回

その重みを感じる。

換言すれば、限りある字数のなかで、どれだけものが言えるか、ということ。


思い返すと、一番短かった制限字数は800字。

ある全集の月報を依頼された時だ。

原稿用紙にして、わずか2枚なので、書く前には、ほとんどものなど言えない

のではないかと感じていた。

それでも、書いては削る作業を繰り返し、何とか満足のいく内容になった。


博士論文は、制限字数自体設けられていなかったが、そのせいか否か?

蟻地獄に落ちたように書いても書いても終わらず…日付のない毎日

(曜日の感覚がない)を長く過ごす運びに。


その意味では、制限字数(そして締め切り)は、「出口」を用意して

くれる救い主ともいえる。


今回の寄稿は、制限字数が1万字だったが、書いている途中で2000字ほど

オーバーし、いったん書き上げてから、かなり削ることとなった。


いつものことだが、圧縮の作業に入る前は、あれもこれも残したい、

削りたくなどないという思いに駆られる。

それが最終的に、枝葉末節を剪定し、ことばを入れ替え、やはりこれで

よかったのだと思える地点に、いつしか到達している。


実際に、完成した論文の読み手は、そのような舞台裏などまったく気に

するわけがない。

だが、そうであるからこそ、泥臭い作業を繰り返しながら、文章を輝く

晴れの場に送ってやりたいと願う。

一語でも疎(おろそ)かにすることなく。




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