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対象との距離を測りつつ

よりよく生きるためには、「見る」ことに長けねば

ならない。

どこに立ち、どう見るかにより、向き合う対象の「像」

も変わってくる。


こう書けば、あたりまえのようだが、身をもって体験

した忘れられない出来事について記してみたい――


私自身、裸眼で両目とも1.0と視力はよい方なのだが、

なにせ長時間論述のためタイピングをするものだから、

目に負担をかけないように、また見やすいようにと

ワープロ画面を1.5倍以上の大きさに設定していたこと

があった。


大学院の博士課程に在籍していた時のことで、確かに

文字は見やすくはなったのだが、気のせいか執筆が

進まない…


自分ではスランプだと信じ込み、打開策も浮かばない

まま、そのような日々を数か月過ごした。


それが何のきっかけか、再び設定を1倍にしたら、以前

のような調子が戻ってきたではないか。

その時ピンと来た「停滞」の理由は、画面が大きくなり すぎて、書いている最中のセンテンスの前後の部分が よく見えなくなっていたせいではないか? ということ である。 特に、長い文章を書く際には、「部分」と「全体」の

つながりに関し難易度が上がる。

そこで論旨がずれないよう、論理に破綻が生じないよう、

いったん書き上がったところで、細かくチェックを

しながらジワジワと進んでいくのである。


このような作業で、画面を大きくする、いわば

クローズアップで「見る」という行為では、己と

対象との距離が近すぎてしまう。

換言すれば、動きが重くなり、思考からシャープさ

が失われることでもある。


長い論述をものする過程では、単に「文章を書く」

のみでなく、それに付随するさまざまな学びがあったが、

中でも対象との距離の測り方を学んだ経験は、その後

の人生にとっても大いに役立っている。


これは論述に限ったことではない。

現前する世界に、直観で違和感をおぼえたら、少し

後ろに下がり、対象との距離を取ってみよう。

その時、以前には目に映っていなかった世界が、姿を

現わすかもしれない。

関根伸夫≪空相-水≫(1969)

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