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帰納(きのう)と演繹(えんえき)

大学院入学から、本格的な研究生活は始まるが、そのスタートに

際し、研究の基本を、実際に一から教わることは少ない。


何となく共有されている「研究の自律」とは、具体的に何を指して

いるのか? 説明もないまま、初学者たちは、いきなり放り出された

ような状態に、一瞬陥るのではないだろうか。


しかし、教師や教科書からでなく、実地でがむしゃらに手探りしていく

うち、自身でも知らず知らずのうちに、高度な研究の術が身について

いることがある。


帰納的な研究方法は、文理を問わず、ほとんどの領域で一般的であり、

私自身、数多く繰り返してきた。

一方で、演繹的なアプローチには、実地だけではどうにもならない「勘」

のようなものが求められる。


さまざまな見解があるだろうが、前者をおろそかにしないのは無論の

こと、後者を豊かに兼ね備えて初めて、研究者は、卓越した能力を発揮

しうる。

なぜなら、それこそが、研究者に不可欠な「センス」であるからだ。


昨年、授業で使っていた新書『生物と無生物のあいだ』には、対照的な

研究者が登場する。


ロザリンド・フランクリンは、ひたすら地道に実験を繰り返すこと

(典型的な帰納法)により、DNAのらせん構造を解明する鍵となるレポート

を、1952年に発表する。


しかし、それは正式な学術論文ではなく、データを盗み見したフランシス・

クリックとジェームズ・ワトスンは、フランクリンの成果を演繹的に援用し、

1962年、ノーベル賞を獲得した。


それより4年前、フランクリンは、彼らの行為と、自身の研究が果たした

役割に気づかないまま、癌で死去している。

死因は、研究中、放射能を浴びすぎたことと推測される。


イギリスの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、厳格な両親から、当時としては

最高の教育を受けたフランクリンは、ユダヤ人と女子の入学が許可されて

まもないケンブリッジ大学で、トップクラスの成績を収める。

そのまま、大学院に進み、物理化学の博士号を取得した。


フランクリンが、研究生活を送った20世紀前半は、彼女の専門分野

であるX線結晶学の黎明期であった。


なぜ、山に登るか? と聞かれたら、そこに山があるからだと答える

登山家のように、彼女が、生そのものを捧げた研究生活は、他人から

見れば、崇高きわまりないが、本人にとっては、至極自然な営みで

あったのだろう。


悟りすましたように、貴い犠牲の上に研究は成り立ってきたなどとは、

到底、口に上らせられない…


一方で、狡猾でしたたかなクリックとワトスンが、あたらしい発見に

たどりついたのは、演繹的手法により、彼らの側に「準備された心」が

存在したからなのである。


いわば“pursuit”の異なる両アプローチは、結局、補完しあって、より 大きな効力を発揮しうるのだ。



夜の公園を歩いていて、蝉の羽化を初めて 目にした。 彼らの短い夏がはじまる…

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