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思い込みから脱却する

今日も、授業前の時間に、近くの公園で猫と

散歩を楽しみました。

犬のように、地面を歩かせるわけではないの

ですが、元々野良猫だったので、家の中に

閉じ込めっぱなしなのはかわいそうだと思い、

少しでも自然に触れさせようとしています。


池の前のベンチで休んでいると、老婦人から

声をかけられました。

その方も猫を飼っていて、よくそこに連れて

きていたそうで、若猫のころは勢いよく木に

登るほどだったのが、今は15歳になり、だいぶ

落ち着いたとのこと。


実際に、犬を連れている人がほとんどで、猫

は1匹も見当たらず、珍しいのかいろいろな

人に話しかけられました。


猫の飼い方については、意見も一様でなく、

屋外に出す必要などまったくない、とも聞きます。

猫同士のけんかに巻き込まれ、病気に感染したり、

土の上を歩いてノミがついたりするのはよくない

というのですが。

そうであれば、飼い主が抱っこをして一緒に

自然の中を歩くのは問題ないのではないかと

考え、今日に至っています。


さて、少し前から「多様性」の時代といわれながら、

われわれは、未だ思い込みにとらわれていることが

少なくないようです。


たとえば、大学生が卒業論文のような長い文章

を書く際、学校側からフォーマットに関する

事務的な「指示」は受けながら、内容に関する

こまやかな「指導」は、ほとんどの場合不足

しているのが現実です。


理由として、端的に学生の数が多すぎ、教員が

仕事を抱えすぎていることの弊害が挙げられます。


これまで卒論のサポートをおこなってきた学習者

のほとんどが、形式に関する知識を一応もって

いても、具体的に何を書くべきで、何を書くのは

適切でないか、判断できない点が共通していました。


無論、論文には、論文の「作法(さほう)」があり、

自由気ままな作文とは異なりますが、すべての論文

が、絶対こうでなければならないという縛りも存在

しません。


何の分野で、どのようなテーマで書くのかでも、

それは当然変わってきます。


とりわけ、論文の命である「新規性」を考慮する際、

思い込みは往々にして、発想の縛りになることが

あります。


リファレンス自体が少ないと、基準にも自信をもて

ないのかもしれませんが、そうであるからこそ、

必要なリファレンスを示して、思い込みを取り払い、

一段上の論文に導くよう努めています。



  エドワード・バーン・ジョーンズ   『迷宮のテセウスとミノタウロス』

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