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恩師との約束

昨晩は、なぜか胸騒ぎがして、気がつくと数か月ぶりで

恩師に電話をかけていた。

しかし、留守電につながったため、メールで用件を送って

おいた。


前回、電話でお話したとき、恩師の話し方は、それ以前と

まったく違っていた。

ことばがもつれるようで、ご本人も「活舌が悪くなった」

とおっしゃっていたのだが・・・


不治の病にあるお母様を、献身的に介護されているのを

知っていた私は、もしや何かが起き、ショックでそう

なってしまったのか? と考えた。

それゆえ、かえってお母様のお話は、話題から避けていた。


恩師とはいうものの、大学院で教わったわけではない。

その先生の著書を、修士課程在籍中に読んでいたところへ、

博士課程での主査が、先生と大学院時代に同級生だったと

わかったことから、ご縁が生じたのである。


初めてお会いしたのは、老舗(しにせ)レストラン内のカフェ。

著書のお写真で拝見していた先生は、その日、オフホワイト

のコーディネートで、若々しかった。


しかし、その後1年も経たないうち、先生は、お耳の病気で、

大学を早期退職されることとなった。


それでも、お態度は、淡々とされていて、研究に関する相談

には、引き続き親身に乗ってくださった。


前の記事にも書いたが、博士論文提出直前に、提出を放棄しよう

とした私を厳しく叱り、背中を押してくださったのも、その先生

すなわち恩師だ。


華々しい経歴でありながら、大学では、専攻と異なる学部で、

教養科目を担当していた恩師は、ゼミを持つことがなかった。

そのため、直系の弟子も存在しなかったのである。


博士課程を修了するころ、過去に書いた論文を電子書籍として

出版するので清書してほしい、と依頼され、それをお約束した。


ただし、急ぎではなく、あなたの生活が安定してからでいい、と

配慮してくださった。


そのことばに甘えてきてしまったが、前回の電話の後、恩師の声

がずっと耳に残っていた私は、今秋、外国に投稿する予定だった

論文の執筆を中断し、仕事の合間を見て、依頼された作業を

おこなうことを決心した。


だが、その旨を書き送ったメールに、今日の午後、予想外の返事

がかえってきた。


「構音障害で話せないため、電話がもうできません。

母の持病が悪化し、余命の措置を考えているところです。

あなたもコロナの影響で大変なことと思いますが、乗り切って

ほしいと願っています。

落ち着いたら連絡します」。


こんなとき、ことばは役に立たない。

水のごとく淡き交わりながら、あらためて師の恩を想い、頭(こうべ)

を垂れたまま立ちつくす。
























認識する/映像から・書かれたことばから

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