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成長の糧(かて) ー続・投稿論文をめぐってー
昨年末から現在に至るまで、外国の社会人学生からの問い合わせ
が続いていて、これは新しい傾向である、と先日書きました。
外国人、日本人を問わず、明確な目標を有し、大学院に進学する人
がいる一方で、就職を引き延ばすためのモラトリアム的な居場所を、
とりあえず求める人もおり…
そんなの「なんちゃって」大学院生じゃない? などという批判も
ありますが、個人の選択なので、文句をいう気はまったくしません。
ただし、一度社会に出てから、さらなる学びのため、高等教育機関
に戻ってきた社会人学生は、いったん目標を決めたら「ブレない」
人がほとんどのように見受けます。
私自身、仕事に就いてから、自分自身の幅を広げる必然性を感じ、
社会人学生になりました。
特に、修士課程では、常勤で働いていたので、研究に費やす時間を
捻出するのに一苦労。
学会への初めての投稿は、修士課程2年生の春でした。
査読の一次を通過し、修正後に再査読という段階まで持ち込んだの
ですが、仕事が繁忙期で、平日は頭が十全に働かない。
週末も、仕事の後処理に追われ、心の中で悲鳴を上げていました。
「早く書きたい~~~!」と。
そこで、思い切って、有給休暇を2日間だけもらい、最終仕上げに
とりかかったのです。
しかし、自分自身でも書き切れていない感があり、再投稿後、期待は
持てず…結果は、案の定、不可。
その時、痛感したのは、完全燃焼で不可だったなら納得がいくけれど、
中途半端で時間切れになるのでは、後悔してもしきれない。
フルタイムで働きながら、力を尽くし、論文を書くことは不可能だろう
ということ。
中には、器用で能力が高く、仕事と研究を完璧に両立させられる人も
いるかもしれません。
しかし、己は、常勤を辞めるか、研究を中断するか、どちらしかない
と悟ったのです。
それが、結果は遺憾であったにもかかわらず、「投稿」という学外への
働きかけを通じ、私が得たものでした。
2年後、私は、常勤の仕事を辞め、迷いなく非常勤に。
たとえばゼミは、「ホーム」のような場ですから、厳しいコメントを
もらっても、基本的にその中での安住は可能です。
けれども、一歩その外へ出たら、評価が変わることは当然ある。
それゆえ、自身の研究を、多角的に批評してもらい、外側からの視点を
反映させるためにも、「アウェー」の場に、みずから打って出る行為は、
研究者としての自立に欠かせないものと断言できます。

レム・コールハース設計「ブラックボックス」(サムスン児童教育文化センター)