• 日本語空間

抽象的思考がコアとなる

日本語で書かれているにもかかわらず、簡単に読み進められない

文章や本がある。

それらは大抵、抽象度の高い内容だ。


現実に、目は紙面を追っているのに、気づくと内容が頭に入って

きていない。

恥を忍んで告白すれば、そのような際、自分はよほどレベルが低い

のではないか? と疑ったことも一度や二度ではない。


だが、やや時間を置いて同じ文献に接し、ふしぎと読解がかなう

こともある。

それでは、何が変化したのか? と問えば、抽象的思考能力が

上がったということなのだろう。


たとえば、身分は学生であっても、大学院生ともなれば学びの

自律が求められるため、大切なのは律儀に授業に出席すること

などではなくなる。

端的に、ひとりで問いを立てて答えを出し、それを発展させて

いくような営みを粛々とおこなうのだ。


たとえ文系であっても、抽象的思考能力があるかないかでは、

研究の質に大きな差が出てくる。


こう文章に書いても、実感できる人といない人がいるかもしれない。

無論、幼いころからこのようなトレーニングを続けていれば、

それに勝ることはないが、その経験が欠けていても自信をなくす

必要はないといえる。


なぜなら、とくべつ意識的に当該のトレーニングをおこなってこな

かった私自身が、大学院に入ってから主として読書経験により、

上述したような抽象的思考能力を得ることができたからである。


最近は、しばらくそのような種類の本から離れていたが、寄稿の

締め切りがまたやってくるので、そこに戻るのが楽しみだ。

そびえたつ文字の塔に、またかじりついて離れず、端から咀嚼

していこう!


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