top of page
  • 日本語空間

文体の手触(てざわ)り

書く人間の数だけ文体がある、といえば、語弊(ごへい)が

あるかもしれませんが。

文章を読むときには、その書き手の背後にあるものが、浮かび

上がります。


昨日からお話ししている「新書」に、例をとっても、そのようすは、

明らかです。


『日本語空間』で、現在、レッスンに使用している2冊の新書は、

大枠では理系ですが、分野は、「生物学」と「情報工学」に

分かれます。


筆者は、どちらも現役の大学教授。


出版社を問わず、新書の性格には、手軽に読める教養書、ソフトな

啓蒙書(けいもうしょ)といった側面があります。

それは、この2冊にも共通しています。


また、数行にわたる複文―センテンスの長い文章―は、どちらにも

見受けられます。


ただし、前者のほうが、いわば文学的な修辞がちりばめられている

のに対し、後者のほうは、ドライなタッチの文章。

→いずれにしても、手に取る日本人は、特に文学的だとか、ドライ

だとかは意識せず、自然に読み進めるでしょう。


各々の文体は、専門分野と個人の資質が交わるところに、成り立って

いるともいえます。

その相違は、実に興味深いです。












 日本経済新聞(2020.5.25)の記事より

閲覧数:13回0件のコメント

最新記事

すべて表示

推敲ありき

研究に限らず、何事かをおこなうに際しては「逆算」の上、 計画を立てることが必須だ。 大学院では、学位論文の他にも投稿論文等の学術論文を複数 執筆するが、完成までに考慮せねばならないことの一つは、 いったん文章を書き切った後に要する推敲の時間だ。...

コメント


bottom of page