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活字化(2)―自己肯定感を友に―

大学院では、研究の自律が、あらかじめ求められます。

それゆえ、何をどうするか、自身で舵(かじ)を切らねばなりません。


教員の役割は、知識を一から授けるというようなことではなく

(高度に専門的な知見は別として)、その舵を切る方角を指し示す

ことと考えられます。


以前にも書いたごとく、専門がぴったりと合う教員がおらず、

ひたすら1人で論文を執筆していた私は、所属する学会から投稿先

まで、自分で決めていました。


投稿論文を書いている間も、中間報告はおろか、それを書いている

ことも告げず、査読をパスしてから、経緯を話すというのがつね。


仮に置いてもらっているゼミだと、先生に負担をかけるのは気が

引けると同時に、チェックを受け立ち止まる時間など省略し、

早く書き進めたい想いもあったのです。


そのような状況で、以前書いたように、研究科長の先生が、

「活字化されたものを増やしなさい」とアドバイスしてくださった

のは、きわめて大枠ながら貴重な留意点でした。

つまり、先生は、「論文(審査をパスした)を増やしなさい」と

おっしゃったわけではないのです。


大学院の研究科が異なると、事情は大きく変わるので、すべての

皆さんの参考になるかはわかりませんが、業績の中には、いわゆる

学術論文以外のものも含まれます。


たとえば、海外の学術誌で賞を取るような論文を、最高峰のものと

すれば、いちばんささやかなものでは、「文献紹介」などが挙げられる

でしょう。


この場合、ささやかではあっても、投稿すれば必ず掲載されるとは

限らず、「文献紹介」でも、査読を経ねば活字化されない場合が

あります。


私は、海外の学術誌への投稿論文が、在学中に3本通りました。

その他、文献紹介、書評(学会からの依頼)、雑誌への寄稿、文化センター

が出版する新聞への寄稿、全集の月報など。

読んでもらうことの訓練とばかりに、博士論文執筆と並行し、各種の媒体で、

書くことを試みていました。


月報では、初めて、原稿料(2万円也!)をもらったのですが、他の長い

文章に比し、たった800字でいいのかな? と変な気がしたものです。


担当教員とだけでなく、院生同士でも交流の乏しかった私は、暗い道を

手探りするように歩みながら、これらの活字化した業績により、ずいぶん

励まされました。


特に、自分自身の所属とは、直接関係のない場から授けられた評価には、

自信を得たのです!


そこで、皆さんにも、学内の研究を軸としつつ、ぜひ外の世界へ文章を

発信することをお勧めします。

もしかしたら、その発信を契機に、あたらしい縁が生まれるかもしれません。


文章を書くことは、基本的に、孤独な営み。

それゆえ、活字化を増やすことは、自己肯定感を友につけることといえます。



























2021.7.24

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