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熱く/冷たく












なぜ論文を執筆するかといえば、具体的な目標を単に達成

するためではなく、やはりそれが自分にとって楽しく、

情熱を注ぎ込める行為であるからなのだが、そのように

「熱い」部分と同時に、「冷めた」部分も欠かせない。


大学院時代、学術論文(修士論文、博士論文等の学位論文

だけでなく研究業績の基となる投稿論文)を執筆する過程

において身につけたことで後々最も役に立ったのは、

論理的整合性に対する意識であった。


執筆の過程でみずから意識していても、教員に見せた際

論理的破綻や、曖昧さを指摘されると「あー」となる。

平たく言えば「詰めが甘い」ということ。

だが、そのような作業を繰り返しているうち、セルフチェック

の能力が備わってくる。

総体的な客観視に長けてくる、ともいえるだろう。


それは、「冷めて」いなければおこなえないものである。


先日、歌舞伎役者のインタビューで、市川染五郎氏が同様な

ことを話しているのを見て、興味深く感じた。

彼は、演技の最中に、自分自身を見つめるもう一人の自分

の存在を意識しているらしい。


つまり、あり余るほどの情熱を舞台に注ぎながら、同時に

役柄に没入するのでなく、冷静に己をコントロールしている

のだ。

「よく憑依型といって、日常から役柄そのものになりきる

役者さんがいますが、自分は違いますね」と。


彼はまた、歌舞伎役者は「アーティスト」でなく「職人」

だと思う、とも語った。

それは、代々続く歌舞伎の家に生まれた彼ならではの確信

なのだろう。


論文のように長い文章を執筆する経験を積み重ねていくと、

やはり「文章職人」とも言うべき技術が身についていく。

熱く、同時に冷たく、どこまでも文章に磨きをかけていきたい

という己の望みも、やはりとどまるところを知らないようだ。




















  屋号は「高麗屋(こうらいや)」

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