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独学は可能か?

独学は可能か? の問いに、まずは「可能」である、と答えてみる。

ただし、何を指して独学というか、定義はさまざまだろう。


ここではそれを、最終的に体系立ち構築された「知」の獲得を目指し、

世界と対峙するのに有用な技(わざ)を、広範に鍛えるための学びとしたい。


『独学大全』という本が、一昨年の9月発売直後から、話題を呼んでいた。

タイトルにひかれ、地元の図書館で借りようとしたのだが、常に予約が 入っており、いつになっても読むことがかなわない。

つい先日も、検索をかけたところ295人が予約中ということで、やむなく

KINDLEで読むことにした。


先日紹介した斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』しかりだが、学術書が

売れないといわれている出版界で、人文書、それも有名な著者によらない

本がここまで人気という事実には、日本もまだ捨てたものじゃない(?)と

思わされる。


ただ、同書に淡い興味を抱きつつも、あまり期待をしなかったのは、

著者名が「読書猿」とあったことだ(個人情報は伏せられている)。

偏見なら申し訳ないが、そのカジュアルさに、あまり深い内容ではない

のかもしれないと想像してしまった。


しかし、先入観を排し、まずは冒頭の部分を読むと、多読をおこなってきた

人間が経験をよりどころに書いていることが伝わってきた。

実際、当該の経験は、自分自身が無意識におこなっていたことと、ほとんど

重なってはいたが、思ったよりは中身があるので、メインの読書の合間に

スキミングすることに決めた。


日本では、少し前から活字離れが進んでいるといわれながら、各人が本を

購入する機会は減ったとしても、図書館を利用する人は依然多数なので、

読書の習慣はすたれていないことがうかがえる。

『独学大全』でも、ペンネームから明らかなように、読書を中心とした学び

が説かれているようだ。


人文知は、個人的に慣れ親しんできたもので、教養はあればあるほどよいし、

読み書きの力を徹底させることは暗黙の前提でもある。

だが、学際的なアプローチを掲げている以上、現在は、そこにとどまらない

あらたな独学の方法を探し求めている。


学外で知り合った恩師は、「あたらしいことを始めようとすると一人になる」、

その覚悟を持つように、と教えてくれた。

修士論文も、博士論文も、前例のない分野に踏み込み、頼れる教員がいない

まま必死で書き上げたが、振り返れば、それ自体独学の過程に他ならなかった といえる。 それゆえ、『独学大全』の著者がインタビューで語っていた以下のことばに、

大きく首肯したのであった。


「研究者がある分野を極めようと研究の山をどんどん登っていくと、

空気の薄い知識の“高地”にたどり着く。もう自分の先にも周囲にも

誰もいない。そこでは誰もが自らを師として独学せざるをえない」。





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