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理論的支柱(りろんてきしちゅう)

学術論文に、不可欠なものとして、以前、「新規性」に言及

した。


それは、各論文の持つオリジナリティであり、いわば「固有」

のものといえる。


新規性には、前例をみないほど斬新な大論文もあれば、先行

研究にはなかった部分に、いったん言及した研究もある。 前者のような論文を、一生に一度でも、書くことができれば

研究者冥利に尽きるのだろうか…

後者のような論文は、しかし、決して取るに足りないもの

ではなく、そのようにささやかな努力を、後から来た者が、

引き継いで(しばしば互いが出会う機会も一生なく)、学究の 世界が成り立っているのも事実だ。


一方、論文の基本的な性質として、普遍のものに、理論的支柱

が挙げられる。


何が言いたいかというと、これまでに取り上げられなかった

事象について調べ、まとめあげただけでは、学術論文とは認め

られない。

それは、「レポート」のようなものだ。


ただし、意図的に、レポートとして発表する分には、問題がなく、

それ自体の価値も認められるだろう。


だが、学術論文の名で、理論的な支柱を欠き、ただ何かをまとめた

だけの文章には、戸惑わされるばかりだ。

さらに、明確な筆者の主張もないまま、文章が終わっていくとき、

それが学生の未発表の論稿ならまだしも、教員のものであるなら、 これは一体? と首をかしげたくなる。

「理論」の2文字を入れ替えると「論理」となる。

上述したような文章には、論理的展開も、必ずといってよいほど 見受けられない。


論文は、平板な「文章」ではない。

理論的支柱という土台があるからこそ、すぐには倒れてしまわ

ない、強固な知の構築物となる。

これは、特殊な性質などではない。 あらゆる論文は、「絶対」のものでなく、将来的に再記述されて

いく可能性がある。

そうであればこそ、措定のための理論的支柱は欠かせないのだ。


その名も「中空」を意味するギリシア正教の メテオラ修道院群は、中世に修道士たちの 修業の場となった。

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