- 日本語空間
目に映る世界
コロナの感染拡大以降、『日本語空間』の授業も、すべてオンライン
形式となった。
パンデミックがもたらした災禍の大小は、数え上げればきりがない
が、行動範囲が一時的にせばまったことで、目に映る景色が変わり、
「見落とし」という現象について、気づかされる機会を与えられた。
何気ないことのようでありながら、足早に通り過ぎていた道に咲く
花(種類の豊富なこと!)や、木に集う鳥(なぜある木にばかり集中する
のか?)、野良猫のようす(TNRの罪過...)などが、目に留まるように
なったのは、確実な変化だ。
なぜだか、自然が、目にしみるごとく鮮やかに迫ってくる…
ただし、それは、風景の方が、こちらに身を差し出しているのか?
己自身が、世界を、意識的に切り取っているのか?
contingency...因果律…
いずれにせよ、宇宙の側―神の視座―から眺めれば、ヒトもまた
植物や動物と同様、命あるものの一種で、風景の一部に過ぎず。
いわゆる「半径50m」の環境にとどまるのは、近視眼的と批判され
ようが、ミクロの世界に目を凝らし、そこに普遍的な要素を見出す
ことは、科学的な営為にほかならない。

2021.6.27
夏の風物詩である朝顔は、鉢植えの印象が強いが、野生の朝顔の群れが、ふいに
姿を現し、その勢いに圧倒された初夏の午後…