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知り尽くせないからこそ
大学院の博士課程で研究をするうち、自身のなかで確立されて
いった姿勢がある。
それは、ひとつのテーマを設定しつつも、世界を小さく切り取り、
答えを出すのでなく、そこを足掛かりとしつつも、さらに大きい
世界を志向するものだ。
抽象的な物言いになってしまうが、「知」にかかわることなら、
知らなくていいことなど何もない、と信じるようになった。
近代に関わる研究を進めるうち、出発点から少しずつ遠ざかり、
科学に関心を持たざるをえなくなったのは、上述した経緯から
自然なことと考えられる。
20世紀が生んだ物理学の巨人のひとりと称されるフリーマン・
ダイソン氏は、『叛逆(はんぎゃく)としての科学』で、
専門性の高い内容をかみ砕きながら、豊富なエピソードをまじえ、
啓蒙的メッセージを発信している。
2001年の世界経済フォーラムに招待されたダイソン氏は、
超弦理論に関するプロジェクトを展開したブライアン・
グリーン氏と、公開討論をするよう依頼された。
テーマは「私たちはいつすべてを知るのだろうか」。
すなわち、近代において一足飛びに発展した科学に、それでも
残された大問題は、いつ解けるのか? という内容である。
議論をおもしろくするため、グリーン氏は「まもなく」、
ダイソン氏は、「永遠にありえない」というそれぞれ極端な
立場をとることとなった。
自然の法則は、驚嘆するほど単純で美しく、過去にこの法則を
見つけるためには、2、3の実験をするだけで事足りたのだから、
「私たちの仕事は(まもなく)完成だ」と、勝ち誇ったように
グリーン氏は宣言する。
一方、ダイソン氏は、多種の科学を物理学に還元するのは、無理な
話で、ゲーデルの不完全性定理も、純粋数学は研究し尽くせない
ことを示しており、物理学の法則はそこに当てはまる、と指摘した。
その上で、彼は、科学が研究し尽くせないという事実を喜ばしく
思っているし、それが「開かれ続けている」ことを信じている、と
述べたのである。
この文章を、午前中に書き始め、いったん中断し、夜に続きを
書いていたが、その途中で、真鍋淑郎(まなべしゅくろう)氏が、
今年のノーベル物理学賞に選ばれたというニュースが入ってきた。
1931年生まれの真鍋氏は、1958年に東京大学大学院の博士課程を修了、
以降も一貫して気候に関する研究をおこない、今日に至る。
こと物理学の世界に限らず、「知」に関わる森羅万象(しんらばんしょう)
は、おそらく知り尽くせないがゆえに、われわれを惹きつけてやまない
のだろう。

読書の秋におススメする一冊。
専門の勉強をする合間に読む「教養書」として
最適!
ワクワクしたり、考えさせられたりします。