「筆力があるねえ」。
今も覚えているのは、大学院の博士課程で参加したサブゼミの
先生が、かけてくださったことばだ。
ただし、学術論文ではなく、学会から依頼され寄稿する予定で
あった書評の原稿に目を通していただいたときのこと。
長く大学院で教鞭を取られ、定年退職間近であったこの先生と
私の専攻分野は、完全に重なってはいなかったが、扱う時代が
同じだったので、総合的なアドバイスをしばしばいただいた。
それらがどれも的確だったことを、もうお目にかかる機会も
なくなってから理解し、いわば一回性の邂逅ながら、アカデミズム
の世界ではありえるのであろう学恩の深さに頭(こうべ)を
垂れたものだ――
最近は、大学を卒業してそのまま大学院に進む外国人学生より、
数年の就労経験の後、大学院に進もうとする社会人学生に
教えることが多かったため、勢いその方たちをメインに記事を
書いてきた。
しかし、3月から日本への入国規制が緩和されるというニュース
が報じられたこともあり、一般の留学生も戻ってきてほしいと
切に願う今日このごろ。
例外もあろうが、「日本語空間」で指導をおこなった学習者の
うち、社会人学生は実学、一般の学生は非実学と、専攻はほぼ
二分されている。
一昨日書いたように、実務に携わり、自己の明確なビジョンを
日本語で語れるものの「書く」経験の少ない社会人学生に比し、
日本の文化、文学、芸術、歴史等の非実学を専攻する留学生は、
大学院入試の前から、日本語での論述にある程度慣れている。
そして、日本語に限らず読書の習慣が身についており、長い文章
を書くことも苦にならない点で共通している。
彼らの多くは、将来、アカデミックな機関に就職することを希望
しており、質の高い学術論文を書けるか否かが、大きく将来に影響
するからだ。
そうであればこそ、「何」を書くかということと同時に「どう」書く
かということも、論文の質そのものにとどまらず、見た目の「印象」
に関わってくる。
一般の学生、社会人学生ともに、モチベーションと熱量はきわめて
高い。
そうであればこそ、内容に見合った「筆力」を発揮しようではないか。
日本人学生を軽く凌駕(りょうが)するような!
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